交通事故時の補償解決実績、および著書、講演実績多数 交通事故の弁護士と言えば高山法律事務所

実施不能! 最高裁・法務省 危機あらわ

交通事故の弁護士と言えば高山法律事務所 TOPページ > プロフィール > 高山俊吉の考え > 実施不能! 最高裁・法務省 危機あらわ

実施不能! 最高裁・法務省 危機あらわ

(09.4.4 東京・葛飾ウィメンズパル)

ごあいさつ

ご案内いただきました高山です。立ってしゃべることに慣れております。小学校のころから立たされておりますので(笑)。
実際、法廷でも弁護士というのは立ってしゃべるんです。立ってしゃべると裁判官が座っている目の高さと同じくらいになる。どうしてそういう理屈になるかというと、裁判官というのは一段、高いところにテーブルが置いてあるためです。「それが丁度いいんだ」というのが裁判所の説明で、何が丁度いいんだか(笑)。よくわからないのですが、長い間、この稼業をやっておりますと立ってしゃべることに慣れるということです。

裁判員制度について「法務省の偉い方の話を聞いても、よくわからなかった」という司会の方のお話しですが、それは理解能力がなかったのでは決してなくて、みんな本当にわからない。そして、私のところに来ると「わかる」とおっしゃる。これは私のために、少し具合のよい話をしてくれているのかもわかりませんが、3割引しても、私の話の方がわかるだろうと思います。終わったころにみなさんにお聞きしたい。

1 根本的な問題点

レジュメを2枚用意しました。1枚目はびっしり書いてあって、2枚目はあまり書いてない。1枚目の後半で力尽きたのではないか(笑)、こういう風に思われますと、それはまったく違います。1枚目は裁判員制度の仕組みの話でして、こういう話は、右の耳から入って、左の耳から抜けてしまうものです。つまり、専門的なことですから、文字にしておきました。
話の本題のところは、みなさんの言葉でお話しをしますので、中身は文字にしないという工夫で、その意の深いところを(笑)ご理解いただければと思います。

・しくみ

最初に、お話しをしたいのは、裁判員制度というのはどういうものかということです。テレビや新聞で報道されない週はない、最近は日もないという状況ですので、案外、おわかりかもわかりませんが、きちんと聞かれる機会はあまりないでしょう。そういう意味で、最初に、根本的な仕組みとそれに関わる問題点を整理して、だだだっとしゃべってしまいます。

裁判員裁判は、刑事裁判について行われます。だけれども、すべての刑事裁判についてではなく、凶悪な犯罪についてだけやることになっています。凶悪というのがどういうことかと言いますと、レジュメに書いてきました。
強盗致傷、殺人、現住建造物等放火、傷害致死、強姦致傷、強制わいせつ致死傷、強盗致死、強盗強姦。字だけでも凄まじそうな感じがしますね。

こういう事件は、死刑とか無期懲役とか、すごく重い刑が、法律上、規定されておりまして、裁判の数でいいますと3千件前後です。年間、公判が開かれる裁判は10万件くらいあります。3%です。凶悪な事件を上からピラミッドのように並べると、100分の3、悪辣、悪逆、悪質、どういう言葉を使ったらよいかわかりませんが、凄まじい事件ばかりを拾っています。

ここに市民を参加させて、裁判官と一緒に審理をさせる。有罪か無罪か、どのくらいの量刑かという論議を評議と言いますが、評議をし、その結論をみんなで裁決する。この裁決を評決と言いますが、評議、評決をする。有罪、無罪を決めて、有罪の場合は刑を何年にするかとか死刑にするかとかの判断をさせる。

裁判官は3人で裁判員は6人、全体で9人。
被告人が起訴事実を争っていない事件では、小さい裁判員裁判もあり得ることになっていて、その場合は、裁判官1人と裁判員は4人というのもあるということになっています。

裁判員裁判が開かれるのは、一審、地方裁判所だけで、検察官は一審の判決を不服として控訴する権利を持っています。控訴するとどうなるか。控訴審の高等裁判所と、上告審の最高裁判所は、今までどおりプロの裁判官だけで審理することになっています。
裁判員の参加というのは一審だけ。

複数の罪を犯したことが疑われる事件、例えば、秋田でお母さんが、自分の子どもさんと近くに住んでいる子どもさんを殺したというのは複数の事件で、どちらも裁判員裁判になります。

複数の罪を犯した場合は、その事件ごとに結論を出す。これを部分判決というのですが、事件ごとに結論を出させて、最後にその事件を審理する裁判所が最終判決を言い渡すということになります。
部分判決と最終判決という構造にしている。なぜ、こんなことをするのか。

たくさんの罪を犯している事件は審理が早く終わらないでしょう。裁判員を使った裁判が長期化すると裁判員に迷惑がかかる。だから、裁判員に迷惑をかけないようにバラバラに切って、A事件をやる裁判員、B事件をやる裁判員というようにすると、どちらも早く終わる。この目的のために部分判決という構造にしたのです。

・被告人にとっての問題

裁判員裁判はどういう問題をはらむか。被告人にとってと裁判員にとってと、それぞれに分けて考えてみました。

被告人にとってですが、有罪、無罪の判定も、量刑も多数決で行うことになっています。裁判官3人と裁判員6人の9人ですから、5対4とか、6対3とかの多数決で決めてよいとなっています。

また、最高裁の説明によると、7割の裁判は3日で判決までやってしまう。5日で9割までは判決になる。6日以上かかるのは1割以下と言っています。
3日ということは、月曜日に最初の公判が開かれると水曜日に判決を言い渡してしまう。あるいは遅くとも金曜日には判決を言い渡してしまう。翌週までまたがる事件は10件に1件しかない。

被告人は、「裁判員が参加する裁判なんてイヤだ」ということが絶対に言えないことになっています。拒絶できない。「プロの裁判官にやってもらいたい」と言うことができない。

それから、裁判員は判決文に自分の名前を書かないことになっているから、被告人からすると、誰に判決を出されたのか、3人の裁判官の名前はわかるけれど、6人の市民の名前がわからない。どこの誰だかわからない人に判決を言い渡されることになる。

なぜ、言わないのか。それは危害が加えられたり、お礼参りをされたりするかもしれないからということで、「裁判員のみなさん、ご安心ください。被告人にはあなたの名前を言いませんから」と言っている。

被告人にすると、自分の死刑判決を言い渡したのが誰かを知らないままに絞首台にのぼるという構造になっています。
「裁判員制度とは被告人のための制度ではない」と司法制度改革審議会は言っています。実にはっきりしています。

裁判の中で取り調べる証拠、あるいは主張、これは公判前整理手続きといって、公判の前に裁判員のいないところで、プロだけで整理をしてしまいます。裁判員は、この証拠によって判断するとか、この証拠は使わないとか、ということに口を出せない。プロの裁判官と検察官と弁護人が決めた証拠だけが、裁判員が参加する公判に出てくる。

どうしてこのようなことをするかというと、それを法廷でやると裁判が延々と長くなるからです。全部先にやってしまう。
下作り、テレビの料理番組のようなものだと。これは私が言っているだけですが(笑)。
下作りをして始まった裁判では、この証拠を本当は証拠とすべきでないとか、別の証拠があったとか、このようなことを弁護人も被告人も言ってはいけない。つまり、決めた証拠以外は登場させることができない。それを認めるとまた裁判が長くなるからです。

つまり、3日や5日で終わらせるために、徹底的な証拠提出制限をして弁護人や被告人の手を縛ってしまう。火曜日の午後になって「いや~実はこういうことがわかった」と言っても、「あんた、明日もう判決だよ」となる。

私は、無罪を取った事件が結構あるのですが、3年かかったり、5年かかったり、一番長いのでは14年目に無罪になった事件があります。3日と14年。3日で新事実を発見できるか。被告人に取っては重大問題です。

・裁判員にとっての問題

裁判員にとっても大変なことです。
正当な理由なく出頭しないと処罰されます。
裁判長が出してくる質問、書面と口頭の両方がありますが、これにウソをいうと、また処罰されます。
「自分は人を裁きたくない」というのは裁判員辞退の理由になりません。

裁判員が誰かという情報を公にすることは禁じられています。これは裁判員とわかれば誰かがその人に危害を加えるかもしれないからです。
「何人も」と裁判員法に書いてあるのですが、その「何人も」には、裁判員予定者本人も含まれるというのが最高裁の見解です。
「私は別にお礼参りなど怖くないので言いたい。納得できないことも言いたい」とそんなことも認めない。

「迷惑が加えられる可能性があるからダメだ」と言うのです。
そんなに迷惑がかかるのなら、裁判員制度など止めて下さいと言いたいのだけれど。
「やらせる、迷惑がかからないように配慮する」というので、どんどん、裁判が密行化、秘密化する。暗黒の中で行われる裁判に突き進んでいく。

裁判の中でどういう論議があったかということは、法廷でのことは公開の原則があるので言ってもよい。評議・評決の内容、裁判官がどう言ったとか、他の裁判員がどう言ったとか、判決は5対4だったとか、そういうようなことを言うと処罰されます。
秘密を漏らしてはいけない。

人を裁くために動員されて、動員された結果についてしゃべると、今度は自分が処罰される。人の処罰と自分の処罰の両方を考えなければならない。

憲法は「罪を犯して刑務所に入るとき以外は」とわざわざ書いて、やりたくないことを人は強制されないという権利を持っていると規定しているのですが、裁判員はそれに抵触するという学者が少なくありません。

・陪審制とのちがい

裁判員制度は市民が司法に参加するものだ。市民は国民、国民はこの国の主権者、従って、主権者が司法に参加するということは、憲法が規定する民主主義の基本を実践することで、正しいことだという議論が行われています。

その例によく引かれているのが、アメリカなどで行われている陪審で、陪審の日本版なのだという説明がよくあります。
陪審のようなもの、「鮟鱇のようなもの」という話が出てくる、あっこれは全然違うことを言いましたね(笑)。
陪審のようなものというなら、陪審とはどういうものなのか。この話を少しします。

陪審制とは違います。とんでもなく違います。
アメリカなどで行われている陪審裁判は、陪審員だけで行います。「12人の怒れる男」という映画がありますが、12人全員が素人です。裁判官は評議室に立ち入ることも禁じられています。

陪審裁判は、被告人が無罪を主張したときしか開かれないのです。
O・J・シンプソンとかマイケル・ジャクソンとか評判になった陪審裁判がありました。どちらも無罪になりましたが。どちらも「自分は無罪だ」と主張したから、陪審裁判になった。無罪だと主張しないと、プロの裁判官が量刑の判断だけに入っていきます。

陪審制では、陪審員は量刑の判断を行いません。量刑は裁判官がやります。
有罪には、全員一致を必要とします。多数決ということがない。ごく一部の州に多数決でもよいという州がありますが、単純多数、過半数というのはない。

量刑判断もごく一部の州でやっているところがありますが、それは裁判官が死刑判決を言い渡したいということになったときに、もう一度、陪審員の承認を求めるという形で量刑判断に関わるということです。
これは、陪審員が「死刑判断のときには、もう一度、私たちのところを通して下さい」という制限をかけるためのものですから、被告人の側に立った制度ということになりますが、その例も非常に少ないです。

評議の秘密を漏らしてはならないということも特にない。陪審員体験記は広く出版されています。

それから、陪審員の場合は、辞退をすることが事実上広範囲に認められています。O・J・シンプソンの事件では、千名を超えた人が断りました。
被告人は、陪審の裁判を受けるか受けないかの選択ができます。O・J・シンプソンは、「陪審ではなく、プロの裁判官にやってもらった方がよいかな」と一時思ったというような話を聞いています。

検察官は、判決が無罪になったときには控訴できません。無罪の判決は天の声です。
無罪判決が出ると、控訴状を出して次の裁判に期待するということはできません。無罪が言い渡されると、検察官は被告人と弁護人のところにツカツカと歩み寄って、「Good-Luck」と言って帰って行くと。そういう話が本当かウソかしらないけれど(笑)。そういう風に言われています。

アメリカの憲法には「被告人は陪審の権利を持つ」と書いてあるのです。陪審は被告人の権利なんです。弁護人はディフェンダーですから被告人を守ります。だけど、弁護人が守るだけではなく、12人の彼や彼女が被告人の前楯になるのです。

検察官が有罪を求めてきたときに、「ちょっと待て。私たちを説得しきれるか」となるのです。12人が説得されたときに、はじめて有罪となり、楯の任務は終わったとして消えていく。楯だから量刑の判断はしないのです。

陪審制というのは、独立革命、独立戦争と言われている戦争に勝ったときに、また、イギリスが攻めてくる、それを許さないということから生まれたものです。イギリス政府に対して、徹底的な不信感、猜疑心を持った。それに闘うため、陪審制を設け、政府が人民に対して悪を犯すことを許さないという構造になっています。

だから、陪審は被告人の権利なのです。権利だから、被告人は陪審裁判かプロの裁判かを選べるのです。権利というのは、放棄できるものです。
裁判員制と陪審制の違いは、これでおわかりいただけたと思う。

被告人のための制度ではないと司法制度改革審議会は答申の中で言っている。国が行う裁判活動に裁判官と一緒になって、同じようなことを真似事としてやってもらいたいという制度が裁判員制度です。
市民が国に対して不信感を持って、そして国におかしなことをさせないために登場する制度ではないのです。「そんな制度ではないのだ」と自分たちがはっきり言っている。

2 崖っぷちに立つ裁判員制度

・どうしようもない状況だと思っているのは誰か?

 この法律ができたのは、2004年5月でした。イラク戦争が始まった翌年です。
法律ができて5年間、正確に言うと、4年と10か月、5年後までに施行するということであった。それが今年の5月21日です。

5年間の準備をして、国民に理解と関心を深めてもらって、施行するということになっていた。後2か月を切ったですね。
「もう、これ実施されるんじゃないか」と思っている人が多いんじゃないか。
「イヤなものが始まりそうだね」という感覚じゃないでしょうか。

それは間違い。そういう風に思わせようと当局は必死だけど、それは違います。
崖っぷちに立っています。裁判員制度は。
「もう、どうしようもないというところに来てしまったのかな」と思っているのは、みなさんではない。最高裁と法務省の役人たちです。
「どうしようもないな」「これでは実施できないよ」という会議が行われる。その声が私には聞こえる(笑)。いえ、結構、本気で言っていますよ。

どういうところで、これが見えるかというお話しをしましょう。ここからは、難しい言葉がないから、レジュメは見出しだけです。
この調子で話をしていてよいのか(笑)。いいということで(笑)。噺家は途中で羽織を脱ぎますが(笑)、私も暑くなってきたので上着を脱がせてもらいます。

・「絶叫・号泣」の法廷

みなさんのご存じのお話しを少ししながら、どうして裁判員制度が崖っぷちに立っているのかを一緒に確認してみたいと思います。
今年1月13日から2月18日まで、江東区マンションバラバラ殺人事件の裁判が東京地裁で行われました。
7回の公判が行われました。検察官は死刑を求刑したけれど、判決は無期懲役でした。検察が控訴したので、今、東京高裁にかかっています。

この法廷は、モニターの画面に沢山の映像が、骨のかけらとか肉片とかをこれでもかこれでもかと出して、マネキンを使って足の断面を赤黒く塗った場面を出すとかね。頭蓋骨を割って脳みそをすくい出す状況を克明に被告人にしゃべらせたとか、そういうことがあって、ご遺族が号泣をして退廷をしたという。

検察官は「裁判員裁判というのは、このような法廷になるんだという国民に向けたメッセージだ」と言った。

凄まじい場面に慣れているはずの記者も、法廷の状況に絶句したそうです。私は、何人もの記者からそのことを聞きました。実際に新聞やテレビで紹介できなかった。それは何やらのコードに触れて、そのままでは書けない状況だったからです。
彼らが驚くというのはよほどのことです。
裁判員の裁判というのはこういう風になります。

とても情緒的な法廷にもなった。凄まじい場面だけではなく、七五三のときの姿、入学したときの姿、留学していたときの楽しかった外国での生活、それをスライドショーのように百何十枚も出して、被告人に「これをどう見るのか」と聞き、肉片になった場面とストップモーションのように並べていき、被告人に感想を言えと迫った。

実際に裁判員裁判が始まって、突然、そこでそういうシーンが出て来たら、裁判員裁判は崩壊するんですよ。みんなが絶句する。プロのマスコミの人たちが絶句するくらいですから、裁判員になった人たちは失神卒倒するかもしれない。

それがトラウマになる人が沢山いるだろう。だから始める前の今、やったんです。
こんなものだと早く言っておかないと、始まってからでは裁判員丸難破してしまうからです。「この船って、結構、大変な船なんですよ」って今のうちから、国民事前教育が必要だったのです。

教育効果はあったか。なかったんです。「これはひどすぎる」って、みんなが言ったから。
私に話をしてくれた記者は「検察官は法廷で尋問しながら泣いた。きっと、泣けと指導されたんだろう。とても白けた」と言っていました。検察官が法廷で泣く。

そういう情緒過多、絶叫・号泣の裁判を今のうちからみんなに見せて、事前体験させようという狙いはむしろ逆効果を生んだ。「そんな裁判員裁判止めてくれ」という声が多くなった。
それでもやらなければならない。
やったら、やっぱりうまくいかない。
彼らは右の足で左の足をけっ飛ばすような状況になっている。
それを示す好例、適例があの裁判だった。

・「心のケア」をするということ

最高裁は、昨年、心のケアをすると発表した。24時間でお金も使って、みなさんの悩みに応えましょう。24時間ということは、夜眠れなくなる人がいるっていうことを最高裁はわかっているということです。役所というのはだいたい、8時半から5時くらいまでじゃないですか。それが夜中までやるってんだから、よくよくでしょう。

心のケア、それは、心的外傷後ストレス症候群、PTSDと言いますが、それにかかる人たちが沢山いるということを最高裁が知っているということです。だから、ご親切にも心のケアをしてくれると。

私たちの心のケアを、本当に心のケアをするなら、始めるのを止めてよいのだけれど、それは断固やります。断固やるけど、みなさんの心の傷は後から修復させてもらいますという話なんです。

そこまでしてもやりたいという根性はなんなんだ。
そこまでしてくれるなら喜んでやろう、救急車を用意してくれるなら崖から飛び降りてみようという人が出てくるかという話だと、私は思うがどうだろうか。

・「絶滅危惧民族」-1割近くの日本人が重病・重傷!

昨年11月の末、29万5千人の国民に「あなたは裁判員候補者名簿に記載されました」という連絡が最高裁から送られたんですよ。これは、送り返したってダメなのね。送り返したら外しますよなんて、そんな優しい心根はないのです。だけども4割の人が送り返しちゃった。
12万人の人がポストまで持っていって投函したというのは凄いことだと思います。不愉快だということにとどまらなかった。12万人がポストに行く状況を私は想像する。反発ですよ。

その内容がどういうものだったかというと、3月に入って最高裁がその調査結果を発表した。
状況を発表するという約束だったから発表しなければいけなかった。2月中に発表するという話が遅れて、3月になって発表した。
遅れたら、また、「なぜ遅れたんだ」って高山たちが言うに違いないって(笑)、言ったかどうかはわからないけど(笑)。

送り返した内容ですが、12万人中の2万3千人は「重大な疾病または重大な障害を持っているという理由で断ってきた」と発表したんですよ。
無作為に抽出した29万5千人、約30万人の国民に「あなたは裁判員候補者名簿に載りましたよ」と連絡したら、2万3千人が「私は重大な病気か障害です」って返してきたっていうんですよ。
そんな国あるか(笑)。
これは「絶滅危惧民族」(笑)だと私は思う。

国民の1割近くが「重大な」ですよ、「ただの」じゃないんですよ、重大な病気か重大な障害をおっていると答えたという中に、裁判員制度に対する無限の反発があるでしょう。
いや、もしかしたら本当に病気になっちゃうかもしれない。その市民の思いが入っている。

最高裁はその数字をそのまま発表せざるを得なかったんですよ。2万3千人がこんな状況だと言ってきましたと。
マスコミって情けない。そのとおりに書いている(笑)。「それはおかしいでしょう」と書いたマスコミは一つもなかったですよ。でも、おかしいよね、どう考えたって。

・「裁判」の体をなさない裁判

最高裁はわかっているんですよ。「これは参った」と思っているんですよ。
月曜日に裁判が始まって、水曜日に判決になっちゃう。月曜日に裁判が始まって、遅くとも金曜日には判決になっちゃう。
ロシア民謡に「私の一週間」(笑)という歌があったけれど、一週間ですべてが終わる(笑)。トゥリャトゥリャですよ(笑)。
それは裁判というものではない。

もう少し、正確に言おう。
月曜日はですね、午前中に裁判長が面会をして、この人を本当に今日から始まる裁判の裁判員をやってもらうかどうかの選定をする。そこでウソを言うと、処罰されるという話が出てくるんですが。

午後から裁判が始まる。午後から、検察官が「この人は殺人をした」とか何とかという話があって、弁護人が「それは違う」とかとやって審理が始まる。
火曜日は審理。
そして、みんなで評議をしなくちゃいけない。
水曜日の午前中には評議に入らなくちゃいけない。裁判官は、短い判決を書くと言うことになっているから、水曜日の午後には判決を書かなくちゃいけない。
水曜日中には判決を言い渡す。
これは3日の場合ですが、7割が3日で終わると言っているので、これが典型的な話です。

そうすると、殺人事件について、本当に審理をする時間というのは、月曜日の午後と火曜日一杯、それで結論を出してくるんですよ。
江東区のバラバラ事件は7回の公判を開きました。彼は殺人をしたこともバラバラにしたことも全部認めていますから、プロの裁判官が争いのない事件で7回の公判が必要だった。しかも中を置いた。次の裁判の準備をする時間が曲がりなりにもあった。
連日やるんだったら、寝ないで準備をやるしかない。
素人が、裁判に加わって3日や5日で結論を出すことはできないということを意味している。
裁判の体をなさない。

・「裁判員制度を問い直す」動き

つい数日前に国会で「裁判員制度を問い直す議連」が生まれた。社民党、共産党、民主党、それから自民党の議員まで入って。
ほとんど全会派が入って、見直す、問い直すという。
しかし、これは大変、胡散臭いんです。
どう胡散臭いかというと、裁判員制度というのは問題が多いと、みんな言うのですよ。素晴らしいと絶賛する人はほとんどいない。

だけども、そこから先がインチキなんです。
どのような制度にも万全というものはないと。オシドリ夫婦だって問題がないことはないとか、まあ訳のわからないことを言う(笑)。
問題があるんだって言うことで、どこかで話を吸い取ってしまうような「問題あり」という議論が盛んに行われる。

「新しい国の司法制度を作るんですから、問題って沢山ありますよ」って言うんですよ。
そういう手合いは「欠陥はまだある。不十分な点はある。それは導入した中で直していこう」と言うのです。

どんな直し方をするか。
一番考えられるのは、例えば、死刑は5対4ではまずかろう、6対3にしようと(笑)。イヤイヤ7対2だとか(笑)。そういう修正提案をするんですよ。
根本的に問題だという議論にはしないのです。
だから、そういうところで、ガスを抜き、水路を造って、裁判員制度を問い直すといって「じっくり、やっていこうね」というところに道を開ける狙いが濃厚にある。

今、野党の中には延期論が結構出て来ていますね。
小沢民主党代表、そして鳩山幹事長が「見直した方がよい」と発言したのは、去年の8月です。
でも、民主党の背景には連合があって、連合が「冗談じゃない。私たちは日本経団連と一緒になって、裁判員制度を推進で走っているんだ」と。なんで連合が日本経団連と一緒になるんだと言いたいところがあるんだが、それを言われたもので、民主党は口をつぐんでしまった。

社民党と共産党は、延期だ、見直しだと言った。
けれども、私が言っているような根本的に問題とは言わず、やはり「国民の司法参加とはいいんだ」という議論をする。不足点、不十分点という言い方で、ちょっとずらずと「実施しながら直していこう」という話にいつでも変われるような話で動いているところがある。

けれども、そういう議論が出て来たのは、国民の圧倒的多数が「冗談じゃない」と思っているからなんです。みんなが思っていなかったら、そんな話は出てこないのです。
去年8月になぜ、社民党と共産党がそういうことを一斉に言い出したかというと、あのころ、福田というヘロヘロになって(笑)、潰れてしまった内閣が「選挙が間近だ」と言い出したものだから、選挙間近なら国民の声に応えようと。
だから、本当のところで裁判員制度がとんでもないという考え方にはなっていないんだな。
でも、そこは凌ぎを削る闘いにはなっている。
国会全会派、自民党から共産党まで全会派が賛成して作った制度に、国民がNOと言っている。
このねじれ方は、衆参両院のねじれ方じゃないですよ。衆参のねじれなんて、自民党と民主党のどちらがヘゲモニーを握っているかというような話でしょう。
そんなねじれ現象、私に言わせれば大したことないなあ。

国民の意見が国会に反映されるという民主主義の国でしょう。
全会派一致したんだから、国民は黙ってついてきなさいじゃないですか、もはや。
それをみんなが「冗談じゃない」と言っている。
最高裁の世論調査があります。去年の春に発表したんですが、国民の82.4%がイヤだと言っていると。
国会と国民のねじれ現象です。ねじれもねじれ、よじれ切っちゃったじゃないですか。

今、私たちはそういう地平に立っている。
そう考えると、崖っぷちに立っているのは最高裁と政府の側だということがよくわかっていただけると思う。
後2か月で5月21日が来るというのに、彼らは、今日も明日も明後日も「どうしよう、どうしよう」と会議を開いている状況です。それを新聞が報道しないという問題があります。

でも、反対運動は全国津々浦々に、北海道から沖縄まで起こっている。裁判員制度反対という運動が起きている。
実は、今日もワゴン車の上に「裁判員制度反対」という看板を出して、都内のどこかを回っている人たちがいる。

3 おかしい世の中におかしい裁判員制度

・世界恐慌

 やはり、時代がおかしいですよ。世の中がおかしい。「おかしい世の中におかしい裁判員制度」ってレジュメに書いたけど、やはりこの時代を考えないと、説明がつかないし、この時代を考えるとよくよく説明がつく。

去年9月のリーマン・ブラザーズ以来、世界恐慌に入ったという議論、自動車の生産台数が昨年同月の30%台になっちゃったとか、凄まじい状況。「生きさせろ」という状況が起きてきた。年末を越せないんじゃないかというので、日比谷公園が大変になった。
あの秋葉原のホコ天に車で突っ込んで、7人の命を奪ったという事件の青年はトヨタの系列の派遣社員でしょう。
時代がきちんとそこに合っていますよ。派遣切りから今や育休切りまでいく訳でしょう。
そういう途方もない時代と裁判員制度は連通管で、底の方でつながっている。

・ソマリア・ミサイル発射

ソマリアに3月14日、自衛艦が行きましたよね。「さみだれ」と「さざなみ」いう自衛艦、堂々としない名前ですね(笑)。
海賊っていうと悪い奴に決まっているという議論になりかねないけど、実は、大元は漁民で、ソマリアは国家崩壊の状態になっている。誰が崩壊させたかという問題があるのだが、でも、海賊だったら退治に行ってもいいじゃないかと。
今予定されている法律は、特別措置法ではなくて恒久法で、外国に出かけていくことが常時、自衛隊の本任務として行けることになるんですよ。

で、今日、もう飛んだのかしら(誤報でした)。誤報だった、そうですか。
私は金正日という人はたいへん問題だと思っているけれど、あれでPAC3が配置されたというんでしょう。
市ヶ谷の自衛隊の庭からドカンと飛び出すという。でも、あれ、首都のど真ん中ですよ。
しかも、PAC3って射程距離が20キロ、15キロという説もある。それ以上、飛ばないんです(笑)。どこに落ちるんですか。本当に撃ったら大変なことですよ。
真北に向かって15キロというと川口市なんです(笑)。ちょっと東に逸れて12キロというと、ここなんです(笑)。
そういう大変なことが、あってもおかしくないことのように、みんなを思わせる格好の材料に使われているんですよ。

人工衛星だかなんだかわからないという議論の前に、PAC3がどこへ落ちるかを考えろと(笑)、言わなければいけないときに、みんなが言わない。
こういう不安な時代、心の中に起こっている不安に、どうやって決着をつけようかというときの決着の付け方は、みなさん自身がこの世の中を守る主人公だという自覚を持ってほしいということです。

・「不安な時代」の治安対策-裁判員制度

一人ひとりがこの国の秩序を守る。悪いことをした奴は早く刑務所に行けと、率先して言う人を作りたい。
戦前、隣組という組織がありました。若い方はご存じないけど。隣組というのは、一人ひとりの市民を、国を守る仕事に引っ張り込む役割を果たした。

徴兵制というのは、戦場に行って、人を殺す。裁判員制度は、裁判所に連れて行かれて、人を死刑台に送ったり、刑務所に送ったりする仕事です。戦場に行くのは国を守るために行くというのでしょう。裁判員はこの国の秩序を守るために裁判所へ行くんです。

市民の司法参加が裁判員制度なら、市民の軍事参加は徴兵制です。市民が行動するんだから。殺すのも殺されるのも市民。「西部戦線異状なし」はドイツの市民とフランスの市民の戦いの話です。兵隊は市民ですからね。
不安な時代の市民管理に市民を動員することこそ、市民管理の最も有効な方法だということを、権力の中の知恵者が考えているんですよ。

さあ、すごい超特急でいかないことには(笑)、もしかすると質問をさせないという深い狙いが(笑)。

 

4 お上の説明する裁判員制度

・制度を作ったメンバーは

裁判員制度がどういうものかを、お上はどう説明しているか。
この制度を作ったメンバーの一人に、今、東京地裁の所長をしている池田修という人がいます。『解説・裁判員法』という本を書いている。

この解説では、こう書いてあるんです。
「裁判員制度は、国民に裁判に加わってもらうことによって、国民の司法に対する理解を増進し、長期的に見て裁判の正統性に対する国民の信頼を高めることを目的とする」
「現代の刑事裁判が基本的にきちんと機能しているという評価を前提として行うものである」
「導入までの議論の過程では一部に、職業裁判官による刑事裁判を否定的に評価し、これを改めるために、司法を職業裁判官の手から取り戻し、国民自らが主権者として裁判を行う制度を導入するべきであるなどといった意見も見られたが、裁判員法はもとよりこのようなイデオロギッシュな立場から立案されたものではない」
「裁判員制度は陪審制に進む一里塚だ」とそんな言い方をして、市民の司法参加は主権者として参加するのだからいいことだなどという議論が、日弁連などで行われている。私も属していて会費を払っているのですけれど(笑)。
それはウソなんです。「そんなことない」と裁判員法を作った人がはっきり書いている。

・制度推進新聞広告は

みなさんはもうお忘れになったかもしれないけれど、新聞の全面広告がありました。仲間由紀恵さんとか長谷川京子さんとかね。そういう女優さんが出てくる。上戸彩さんという人もいた。私は女優さんの名前を覚えましたね(笑)。

その中に、文章が出ている。それには「犯罪がどのように起こるのかを考えるきっかけを作ることで、安心して暮らせる社会に何が必要かを自分のこととして考える」って書いてある。この国の秩序を守るのは自分だと思ってもらいたい。そのために導入されますと。
そして最後にこう書いてある。
「昨日までとは違う自分になる(笑)」

変わってもらいたいというのです。
今までの自堕落な(笑)人生を、自分の小さなことだけしか考えなかった。あなたは変わって、この国が確かな秩序の国だということを自分で実践して示す人間になってほしい。あなたは変わると。

・樋渡検事総長は

今の検事総長は、樋渡という人ですが、樋渡検事総長は、2月初めの講演でこう言っています。
「裁判員制度は、国民の法に対する意識を変えるために生まれたのです」
同じでしょう、言っていることは。
お国が大事だという人間になってほしい。
つまり人格改造計画だね。どうして、これを良きものとして評価できるか。

5 私たちは何をすればよいのか

 さあ、私たちは、何をすればよいか。
私たちは、これを潰す。実施させない。
それは、とんでもなく、途方もない難しい仕事か。違うんです。世の中には難しい仕事もあるけれども、裁判員制度を潰す仕事は、容易です。
どうして容易か。
最高裁の統計でも、国民の82.4%がイヤだと言っているから。30%くらいしかいなくても頑張ろうという運動があるでしょう。10%くらいだって言わなきゃいけないことだってある。
子どもの権利条約の立場からしたって、すごく大変なことだってあるでしょう。

私は、裁判員制度ほど、崖っぷちに向かって玉がゴロゴロと転がっていく状況にあるものはないと思っている。でも、残念ながら、放っておいても崖から落っこちるというところまではまだ行っていない。みんなが、もう少し「早く回れ」と力を加えないといけない。
幕引きにだって、幕を引く力がいるでしょう。
その力をみんなに出してもらいたい。

みんなが反対なんだから、やりやすいですよ。
勝てるんだから。勝ち馬に乗るって言葉がありますが、勝ち馬に乗った方がいいですよって、そういう言い方はしないですけれど(笑)。
本当に今の状況は、みんなのイヤだという心を一つにすれば、潰せるんですよ。
そのための運動を私たちはやっています。

チラシが配られていると思います。
この「裁判員制度はいらない! 大運動」というのは、全国、北海道から沖縄まで運動が進んでいます。ホームページもありますので、ぜひ、見ていただきたい。

6 今、予定されていることは

 4月21日には日比谷公園の中にある野外音楽堂で、夜6時半から集会があります。デモもやろうとしています。
デモはもちろん、集会にも行ったことがないという人に、ぜひ、参加してもらいたい。
裁判員制度イヤだという気持ちがある人だったら、みんな、参加してもらいたい。

私たちは、毎月1回、有楽町マリオン前で、チラシを配って署名を集めたりしているんですけど。ある月、署名をしてくれた人が、翌月からは署名を集める側に立ってくれている。しかも、その方、わざわざ埼玉から出て来られる。
つまり、だれでもやれる運動になって進んでいる。

4月21日というのは、当局が実施するといっている5月21日のちょうど1か月前です。
そこに私たちが力を結集して、そして、銀座にまでデモに繰り出して、みんなが反対しているんだということを形で示したいと思っています。
このときに合わせて、全国で運動を進めていますので、各地各様の意思表示をしようとしています。

4月27日には、全国で一斉に記者会見をして発表しようということも言っています。
5月14日には、国会周辺でデモをやろうとしています。
様々な予定が取り組まれています。
そういう取り組みの中に、つい最近、発表された裁判員制度に反対する替え歌があります。

運動が盛り上がってくるときには、いろいろなことが起こってくるのだということがよくわかります。
さあ、これから一緒に歌いましょうとは言いませんが(笑)。私はこう見えても、いささかシャイでありますので(笑)、
ですが、裁判員制度を潰そうということが、いろんな形で起きているのだということを、みなさんと気持ちが一つの人が行動を起こしているということをお伝えしたいのです。

そして、みなさんには、ぜひとも4月21日には日比谷野外音楽堂に来ていただくようお願いしたいし、そして周りの人にも呼びかけていただきたい。
廃止を求めるためには立法措置が必要なものですから、それにも署名をいただきたい。
先ほど申し上げた4月27日の記者会見のその日に、国会へ持っていきます。まだ、少し日にちに余裕があります。
私の端折った議論は、飛び飛びだったかもわかりません。申し上げるべきことを沢山、落としているかもわかりません。
しかし、私の気持ちとしては、申し上げたかったことを全部申し上げたつもりでおります。
質問がありましたら、お答えさせていただきますので、取り敢えずの話はここまでにさせていただきます。よろしいでしょうか。
ありがとうございました。

 

質問へのお答え

たくさん質問やご意見をいただきました。お答えというか感想を申し上げます。
「TSUTAYA」などがタダで、裁判員制度推進のDVDが貸し出しているという話ですが、タダほど高いものはないといいます。タダでどうしてできるのか。それはみなさんの税金を使っているからです。そんなことにお金を使うなら、別のところに使ってくれと言いたいでしょう。
そういうところに税金が使われているということに、私は本当に納得がいかないのです。

先の女優さんを使った広告といい、DVDといいおかしいことだらけですが、「親しみやすい裁判所」というおかしな言葉もあります。これについては、『アメリカ人弁護士が見た裁判員制度』という本の中で、こんな風に書かれています。
「親しみやすい裁判所ということが、ずいぶん、宣伝されているけれども、不思議な表現である。裁判所を親しみやすいものにして、みんなに利用してもらいたいという発想なのだろうが、訴訟大国と言われるアメリカの人々でも、できれば訴訟など起こしたくないし、巻き込まれたくもないし、裁判所とは無縁でいたいと思っている」
「突飛な例だが、親しみやすい脳外科という表現があるだろうか(笑)。脳に腫瘍ができたりすれば、脳外科にいかなければならないが、親しみやすいかどうかの問題ではないはずだ(笑)」

親しみやすいという言葉で、変なキャッチコピーで幻惑しようとする。でも、されない人がいる。
反対の声は宗教者の中からも上がっています。
「人を裁くなかれ」という聖書の教えから、「不殺生戒」という仏教の教えからと立場は様々ですが、そこには、人間性の本来は何かという問題が一気に出ている気がします。

芥川賞を受賞された臨済宗のお坊さん玄侑宗久さんは、「ある社会で、お前は悪者だと断罪された人でも、別の基準では救われる。そういう二様三様の価値基準がない社会はおかしい。いろいろな考えで物事に当たるというのが本来ではないか」と言われている。聖書の言葉も引いて裁判員制度に反対されている。

裁判員制度を推進するための模擬裁判は全国で550回行われました。
模擬裁判というのは、基本的には「やってくれませんか」「いいですよ」という関係で、その気のある人がやっているのです。
一番初めは、裁判所の職員を使って、次は検察庁の職員を、そして弁護士会の職員を、そして法科大学院の学生の保護者と、つてを辿って段々と広げていって行われた。

「やってもいいですよ」という人だから、ある意味、選りすぐりのエリートです。
その人たちがやった結果が、「もう二度とやりたくない」です。

やる気のある人が「二度とやりたくない」と言っているのに、やる気もない人が集められて、それでどういうことになるのか。
この間、ある新聞記者が模擬裁判をやった経験を書いた記事を読みましたが、私も驚いた。
「私の横にいた裁判員が、被告人に対し『ところであなたは、起訴されたのですか』と聞いた(笑)」
起訴されたからここにいるのでしょうがって(笑)。
「起訴されたのですかという質問に自分は絶句した」と記者は書いている。
「悪いことをする人は顔でわかる(笑)。じーっと顔を見れば犯人かどうかわかる(笑)」と言った人もいた。
模擬裁判には、本職の弁護士も立ち会っているのですが、「参ったな」と思ったと言うのです。

包丁を持って相手に向かっていったら殺意があると主張して譲らなかった人もいた。
「包丁を持って相手に向かっていったとき」こういう会話自体、日常しないですよね(笑)。テレビのドラマか何かならあるかもしれないけれど。
包丁を持って相手に向かっていった場合、相手を殺す気があったら殺人、殺すまでの気がなかったけれど、結果的に死んでしまった場合は傷害致死というのです。

でも、殺す気があったかどうか、「私はあなたを殺す気があります」なんて言いながらやったりしないから(笑)、客観的なというか、外形から判断するしかないのです。
すると、プロの判断の世界には歴史があって、心臓の辺りを狙って、両方の手で包丁を握って持っていったら殺意ありなんて判断してきたけれど、そんなこと一般の人は知らない。

夕飯作っている奥さんが包丁を持って「何、あなた」と振り向いた(笑)だけだったかもわからない。まあ、これはちょっとオーバーだけれども(笑)。
殺意があるかどうかは、結構、深く考えなければならないわけです。
でも、その模擬裁判の裁判員は、最後まで「包丁を持って向かっていったら殺意ありで、間違いない」と譲らなかったらしい。

裁判長は「包丁を持って向かっていっただけで、殺意ありとは如何なものですかね」と言ったそうで、それを聞いた弁護士は「裁判長が言ってくれてホッとした」と思ったそうです。
私は、決して裁判員を侮辱して言うつもりはありません。
でも、裁判というのは難しいものなのです。はっきり言って。
裁判は簡単だ、簡単だって、最高裁の長官が言うんだけど(笑)。
裁判は簡単じゃないんですよ。

最高裁のホームページをご覧になった方は、多分、いらっしゃらないと思う。おもしろくないから(笑)。
裁判は簡単です。事実認定は難しくありません。
壁に落書きをしたのはお兄ちゃんか弟かは、お母さんだったらすぐにわかるでしょう。この筆跡だったら弟だ。この高さだったらお兄ちゃんだとわかるでしょう。
というようなことが書いてあるんです。

この程度で裁判てやるのか(笑)。
弟がお兄ちゃんに罪をなすりつけようとして、踏み台を持ってきて高いところに書いたかもわからないんですよ。お兄ちゃんが弟に罪をなすりつけようとして、弟だったらこう書くだろうなと思って書いたのかもわからないし(笑)。
踏み台がその家にあるのか、ないのか(笑)。
踏み台がある家だけど、その時間帯には踏み台は隣の家に貸してあったかもしれない。
そういうことを、分析、検討して答えを出していくのが裁判なんです。

お兄ちゃんが書いた字がどうか、高さを見たらわかる。その程度だったら、裁判長の席に物差しを置いておけばいいんです(笑)。
でも、裁判とはその程度だと、裁判を貶めて、裁判というものを本当にどうでもいいもののように描く。
それを最高裁がやっている。

そして、裁判員制度の評判が悪いとなれば、裁判員制度の説明会にはサクラを集める。
説明会には沢山、人が集まったんですよ。こんなに沢山集まったと思ったら、それがサクラだった。
2月だったもので、「最高裁のサクラは2月に咲いた(笑)」という話になった。
まあ、今日も咲いていますけどね。最高裁の桜も(笑)。

私に言わせれば、ウソで固め、でたらめでやっている裁判員裁判の準備です。
みんながそれに気付き始めた結果が、82.4%に表れているのではないかと思うんです。

そもそも裁判員制度というのは2004年5月に法律になったのですが、2001年に裁判員制度を採用するように司法制度改革審議会が答申を出した。それがきっかけなんです。裁判員という言葉がこの世に登場したのは2001年の春でしたから、今、8年目です。

なぜ、裁判員制度なんだ。直接的な切っ掛けは、陪審制度の導入派と陪審反対派の論戦が行われたことにあります。
「参審ならまだいいが」といっていた最高裁と、「陪審だ」といっていた日弁連との間に激しい論戦がありました。
最高裁は「市民は判断能力に乏しく、誤判の恐れがある」と、徹底して素人裁判官を否定していたのです。今、言っていることとずいぶん、違うのですが(笑)。
その中で、東大の名誉教授が「裁判員にしたらどうか。これは陪審員でもなく参審員でもない」と言い出した。

これを切っ掛けにして、最高裁は「やれるぞ」という立場を取りだした。
裁判員制度だったらやれるぞ。裁判官は裁判員の主張に負けない力を持っている。
裁判官3人対素人6人でやれる。説得は力でやりきれる。そして、市民が参加したというお墨付きが得られれば、これほど力強いものはない。
国民が出した結論、国民が出した死刑判決ということになる。

国民が出した結論というデコレーションがついて、現在の裁判の正統性をそのまま貫徹できるというならば、これほど素晴らしいことはないぞということで、裁判員制度が答申の結論になった。

それが2001年6月、それから3年間の議論を経て、裁判員法という法律になった。これが設立の経緯です。
このとき、全会派一致したということには、日弁連が非常に悪い役割をした。国会議員の間では「日弁連が賛成するならいい法律だろう」となったのです。

私は日弁連の会員ですけれども、その当時から反対をしていましたが、日弁連は「国民が参加する。陪審に進む一里塚である。これによって陪審に進むんだ」と言った。
法律を作った人が「陪審に進むことは絶対にないんだ」と言っているときに、「イヤ、陪審に進むんだ」と言ってみせるこのおかしさ。

日弁連の執行部は賛成したが、多くの会員が反対している。実際、賛否を問えば反対派が多数になるでしょう。
私は、昨年行われた日弁連会長選挙に立候補しました。一騎打ちの闘いです。私は裁判員制度絶対反対の立場でしたが、私に投票された方は43%です。57%対43%、負けたんだから自慢しちゃいけないけれども(笑)。
様々な政治的な闘いが行われた。
「相手方の選対本部は、法務省の中にあるんじゃないか」とまで言われた。

だからよく43%までいったものだとも思う。
東京と大阪を除く道府県では私の方が多い。東京と大阪という弁護士集中地では負けたけれども、それでも37~38%取っている。
数字のことはともかく、実際、日弁連の会員の多くは反対、消極だと言っていい。私は「絶対反対」、当選した人は「問題はあるが、是正をさせる努力をしよう」と言ったのだから、極論すれば賛成派はいなかったのです。

裁判員制度と死刑制度の関係で言えば、先の参審制の国ではほとんど、すべてと言っていいくらい死刑制度を廃止しています。
参審制を取っている国では、市民が一緒に裁判をやっているじゃないか、権力の側に立っているじゃないかと言われるが、死刑制度がない。裁判員裁判では、無罪だと主張した裁判員も多数決で負ければ、死刑判決を言い渡した裁判員ということになる。

これ以外にも、裁判員制度と死刑制度は関連しているところがあります。
しかし、死刑制度反対賛成を越えて、裁判員制度とは国民を権力の側に立たせる司法訓練の場という意味においても反対です。

「やりたくないからやらない」というのはレベルが低いのではないかという意見がありました。確かにそういう一面はあるかもしれません。
しかし、そういう議論があることを承知で敢えて言いますが、私は「やりたくないというのは、決してレベルは低くない」と言いたいです。
「やりたくない」という言葉の中に、気分だけでイヤだというのではない何かがあるのです。
中身を深めきっていないから、「やりたくない」という言葉になる。
「やりたくない」ということは、なぜ、やりたくないのかと考えていく切っ掛けになります。

そういう意味では、司法制度改革審議会に感謝をしたいくらいです。
みんなが司法を考える切っ掛けになった。これまで、これだけ司法を考えたことはなかったはずです。
市民の司法参加に意味があるとすれば、陪審のような国家に対する深いペシミズムというか、猜疑心を持った参加です。
その意味で、「裁判員制度はいらない」という運動に参加することは本当の司法参加だと思います。正しい司法参加です。
4月21日まで、いや5月21日まで、司法参加で頑張りましょうよ。

そして、このまま実施させないことに成功したとすると、このことは何だったのだろうということを、みんなが考える切っ掛けになる。
「やりたくないことをやらせなかった」ということだけじゃなくて、もう一つ、「司法と私たちの関係とは何なんだろう」ということを真剣に考える切っ掛けになる。
そこで生まれた新しい地平というのは、私たちが国の主人公として、主権者として処遇されていい立場に立つはずです。
だからこそ、「やりたくない」という思いの中にある深い価値を見出したいと思います。

「やりたくない人にやらせない」ということは、素人は黙っていろということではありません。ただ、専門家にはそれなりの知識や経験がある。だから専門家なのです。

例えば、「未必の故意」という言葉があります。だれかが密室で恋をささやくのではありません(笑)。殺す気は明確にはなかったが、死んでしまっても仕方がないかなあという気分はあったでしょうというときの殺意を認定する技術用語です。

「未必の故意と言っても素人はわからないだろうから」と、今、最高裁は、未必の故意を崩せばどういう表現になるかということを一生懸命、考えている(笑)。
そいうことは消耗不毛でしょう。もともと、そういう議論に耐えた人が司法試験に受かるんです(笑)。
みずみずしい感性と人間性を失って、その代わりに変な言葉を聞いても驚かなくなる(笑)。
いびつですが、専門知識をもった訳だ(笑)。そのいびつな人たちにはみずみずしい感性を取り戻して、裁判をやってもらいたい(笑)。乾燥ひじきを水に戻したみたいにね(笑)。

だけど、それがうまくいっていないから、変な裁判が行われていることが事実としてあります。あるが、だからといって、何にもわからない人に「やさしい」とか「わかる」とかウソをいってやらせてはいけない。

「庶民感覚との乖離」と言っている人たちが一番、庶民感覚がない人たちだということが、悲劇の始まりなんです。
一番おかしい人たちが、裁判をおかしくしている人たちが、裁判員制度を導入しようとしている。
「私たちが間違っていたから、三宅坂(最高裁)を明け渡す。霞ヶ関(法務省)を明け渡すから、みなさんでやってください」というのではないのです。
三宅坂も霞ヶ関もしっかり残りながら、「みんなでやっていこうよ」というときの技術用語として「庶民感覚」が使われている。

さらに「裁判の長期化はまずい」という言葉が使われました。
私も裁判は長期化してよいとは思っていないが、彼らは「裁判の長期化は悪い」と言いながら、悪いことを始めている。

我々は、少し知恵を持たなければならない。勉強しなければならないということがあります。
ちょっとの言葉では妙に納得しているうちに変な方向にすっと持っていかれてしまいます。
美しい言葉の響きにさらわれてはいけないのです。

いくつもご質問やご意見をいただき、ありがとうございました。感想めいたお答えをさせていただきました。最後に「裁判員制度は廃止だよ」の替え歌を周囲の皆に紹介したいとのご意見、ありがとうございました。歌詞を 紹介させていただき、私のお話を終わらせていただきます。(了

「裁判員制度は廃止だよ」  ~「森のくまさん」~の替え歌

       ある日(ある日)   呼び出され(呼び出され)
三日後(三日後)   判決(判決)
死刑 無期懲役
素人が決める

お上の(お上の)   言うことにゃ(言うことにゃ)
裁判は(裁判は)   やさしいと(やさしいと)
市民の感覚
気分で決めるの

ところが(ところが) 評議の(評議の)
内容は(内容は)   しゃべるな(しゃべるな)
秘密と罰則で
心を縛るよ

裁判員(裁判員)   現代の(現代の)
赤紙(赤紙)     強制(強制)
改憲攻撃があなたを待ってる

さあ みなさん(さあ みなさん)
廃止だよ(廃止だよ)
みんなで(みんなで)
力を 力を合わせて
廃止に持ち込む

法律相談・お問合せ

▲ページ上部に戻る