交通事故時の補償解決実績、および著書、講演実績多数 交通事故の弁護士と言えば高山法律事務所

講演「交通安全を事故の現場で考えよう」

交通事故の弁護士と言えば高山法律事務所 TOPページ > プロフィール > 高山俊吉の考え > 講演「交通安全を事故の現場で考えよう」

講演「交通安全を事故の現場で考えよう」

(19.7.16 静岡県のある高校にて)

自己紹介

おはようございます。50年間東京で弁護士をやっています。昼間だの夕方だのに時々テレビに出ています。みなさんは昼間、学校で勉強しておられるから、私をご存じない方が多いと思いますが、そういう時間帯にテレビを見られる人の中に私を知っている方がいる。そういうことになります。弁護士には定年がありません。ぼーっとしてきたら辞めるべきだと思いますが、そうなるとぼーっとしているかどうかよくわからなくなります。これは困ったことです。

このところ毎週のように高校生と交通安全のお話をしています。高校生のみなさんに語りかけるのはとても楽しみです。感動のドラマでもあります。これまでにうかがった高校は100校くらいになります。1校700人平均として、7万人くらいの高校生にお会いしている計算でしょうか。

私の講演中、棒を持って皆さんの脇を歩き、私語や居眠りをしている生徒さんの肩や頭をポンポンと叩いて回る先生がいます。私が退屈な話をすると生徒の皆さんが叩かれる。これはどうにも理屈に合わない。演壇の私を囲み、私の話が退屈になったら私を叩いて貰うのが正しい対応のように思うのですが。みなさんは興味深い話になれば水を打ったように静かになり、話がつまらなくなるとざわざわっとする。つまるかつまらないかじっと聞き分ける、つまり聞き分けのある子たちです。私にとってはそれこそ勝負の場です。

自転車事故が減らない

本論に入ります。少し自転車や自動車の歴史の話をします。校長先生から、家から学校まで自転車だけで登下校する人が84%、一部に自転車を利用する人を加えると90%ほどになると伺いました。今、自転車事故が増えているといわれている。その理由の1つは、交通事故の総数が減る中で自転車事故があまり減らない。そのため事故全体の中で自転車事故が占める比率が上がっていること。さらには自転車の性能が高くなったことも自転車事故が増えている要因の1つです車は軽くなり使いやすくなった。スポーツタイプのものが増え簡単にスピードが出る。加えて男子高校生には力がある。エネルギーは速度の二乗に比例し質量に比例する。速度が増し質量が大きくなると相手に与える衝撃力が大きくなります。

みなさんは自転車保険に入っていますね。学校単位で入っているでしょう。自転車で大変な事故を起こし、その補償で死ぬほど苦しむ家族、家庭があります。破産する一家もある。59歳の女性が縁石に頭をぶつけて植物状態になった。事故を起こした専門学校の生徒が補償を求められた金額は2億円。2000万円でも、いえ、200万円でも大変です。普通の人が払えるお金ではない。一家は破綻します。自転車にもそういう事故があることを頭に入れておきたい。

自転車と自動車の歴史

自転車の歴史のことを少し。自転車が登場したのは200年前。自転車は人力で移動するツール。今は公害を発生させないエコな乗り物として改めて注目されています。自動車の登場は140年くらい前。昔からあった車は主に馬が動かしていた。その名残が言葉にあります。例えば馬力などと言います。西焼津駅や焼津駅の駅という字は馬編です。それまで馬は最大・最強の移動手段。それがエンジンで動く車に代わって140年になる。自転車や自動車が日本に入ってきたのはそれから間もなくの明治初期でした。

エンジンは、密閉した箱の中で爆発が繰り返され圧力の極大極小化が繰り返される装置です。その往復運動が回転運動に変えられ、タイヤを回転させる。その前にあった蒸気自動車を効率的にしたのがエンジンでした。自動車の走行速度ははじめは時速5キロから10キロくらい。自転車の速度と同じか、自転車の方が早いくらいです。でも、急速に走行速度が増し人気も高まった。車が発明されて20年もしないうちにカーレースが登場します。カーレースといっても速度は時速20キロくらいなんだけど。それでも人はレースに夢中になった。スリルに向けた人間の関心の強さに驚きます。

交通安全の歴史

日本に自転車や自動車は何台くらいあると思いますか。自転車8000万台、自動車9000万台。人口は1億2000万人だから、12人の国民が8台の自動車と9台の自転車を持っていることになる。日本は今やアメリカを超えて世界一の自動車大国です。日本の道路の特徴は人と車が一緒になって移動していること。人が歩くところと車が走るところが基本的に同じ。混合交通と言います。諸外国、特に欧米は多く分かれていて、混合は非混合より事故発生率が高い。

紀元前80年頃でしたか、イタリア半島のベスビオス火山が噴火してポンペイという町が灰の下になった。今なお発掘が続いているという。そのポンペイは発掘の結果、車道と歩道がもう分かれていたことがわかった。車道というのは多く馬に引かれる車の道。これと区分けされる歩道。ヨーロッパには非混合・人車分離の歴史が2000年もあるのに、日本にはそういう歴史がない。時代劇を見ていても馬が走って行くところと人が歩くところとは一緒です。大名行列に対し、人々が歩道でひれ伏すという構造にはなっていない。
 (厳密にいえば、大名行列に対し土下座したのはその領民だけで、他領民と江戸町民は 脇に避けただけ。そして江戸町民も他領民も土下座しなければならなかったのは徳川御 三家と徳川御三卿だけなんですが、そこまで厳密に言う必要はないですね。閑話休題)
自動車の最大の特徴は、たくさんの人や物がAとBの2地点間を早く移動することです。人が歩いたり担いで運んだりするのを止めて車に積み込んで一気に運ぶ。もう一つの大きな特徴は外乱の影響を基本的に受けないことです。雨が降っていようが風が吹いていようが車内は基本的にその影響を受けない。物を濡らしたり壊したりしないで運べる道具です。

この画期的な便利さとそれまでにはなかった楽しみを作り出したのも車の大きな特徴。F1、インディー、ル・マンなどのカーレース。ドライブやキャンピングカーで楽しむ旅行などですね。しかし残念なことに同時に車は深刻な危険を世の中に登場させてしまった。便利で楽しいが危険。箱の中には邪悪なものがたくさんあったけれど最後に希望が残っていたというパンドラの箱の逆版でしょうか。

この国の自動車事故

106年前の1913年に日本にどれくらいの自動車があったかというと、たったの500台。超大金持ちしか車を持てなかった。それなのに、なんと3700件の事故が発生していた。1台の車が7件以上の事故を起こしていたことになる。死者は24人。500台で24人ということは20台中1台の車が人を死亡させたということ。負傷者3000人。1台の車が6人を怪我させているということ。自動車がどんなに危険な道具かがわかります。ちなみに現在の数字を言えば、車は8000万台で、亡くなった人の数は3000人台。2万5000台中の1台が死亡事故を起こしている計算です。

話が少し逸れるけれど一言触れておきたいのは、人の命を数で考えてはいけないということです。「うちでは10年間に1件の割合で事件が起きている」なんて考えない。「お宅は5年で1件、じゃあうちの2倍の割合だ」なんて言わないでしょう。事故は1件がすべて。数で言うのはそうするしかない時に使うだけの情報伝達手段です。静岡県と愛知県を比べると自動車1台あたりの事故の発生件数はどちらがどれだけ多いかというようなことを考える時に仕方なく用いる無味乾燥の用語方法です。

交通安全はどう実現するか。どうしたところで危険なのだと諦めてはいけない。メーカーとか国とか警察とか自治体とか、車の危険を極力少なくする責任を負う部署にいる人たちがどれだけ本気になるかが問われています。自動車の有用性を的確に引き出しながらその危険性を徹底的に抑えていく責任です。

どのように安全を実現するのか

この国の交通安全思想の中心にあるのは、「事故を起こさないように注意を尽くす」ということでした。家を出るときに、お母さんなどから「気をつけてね」と言われる。学校から帰るときに、先生から「気をつけて帰れよ」と言われる。気をつけることは確かに大事。だが、そのことを安全対策の基本と考えてしまうと、今度は他の対策が遅れたり疎かになったりする。精神論は安上がりだが、その効き目はどのくらいのものか。

「注意こそ最良の対策」という考え方を表す言葉はたくさんある。「一念岩をも通す」とか「精神一到何事か成らざらん」とか。「精神一到…」は朱子学の言葉でしたか。意思さえあれば何事もできる。交通事故は起こさぬと強く祈れば事故は起きない。この国はそんな議論をずっとしてきた。事故を起こせば「お前の注意が足りなかった」と言って終わる発想です。私はそれは違うと思う。本当の対策は何なんだと、今こそすべての人に問いたい。

安全対策の進化と深化

車をもっと安全なツールにする工夫がある。シートベルトとかエアバッグとかは立派な安全装置です。最近は、居眠りしそうになるとその時に人間がとる視線の変化や頭部の微妙な動きなどをキャッチして、「お前は居眠りしそうになっているぞ」と注意する機能が生まれています。てんかんの患者さんが発作が起きそうになる時に出る予兆を捉えて、「発作が起きそうだ、車を脇に寄せなさい」と合図する装置も生まれている。

ブレーキとアクセルを踏み間違える事故が報道されています。「踏み間違えるな、踏み間違えるな、踏み間違えるな」と一日10回言うことが踏み間違え防止策になるのではない。急ブレーキは危険を感じたときにドライバーが急いで取る行動。蹴飛ばすようにブレーキペダルを踏む。しかし、普通、人は「急アクセル」という行動はとらない。加速というのは普通じわーっとペダルを踏み込んで行う。ペダルを踏んだことがないだろう皆さんは、頭の中で考えてください。アクセルペダルはゆっくり踏むもの、急ブレーキというのは急にブレーキペダルを踏むもの。そこで、ドライバーがアクセルペダルを叩きつけるように踏んだら、車の方がこの人は間違ってアクセルペダルを踏んだなと感じ取り、ドライバーの言うことを聞かないことにする。そのような装置は簡単にできる。踏み間違い防止装置は現在10何万円くらいで売られています。

様々な側面から安全を追求する

ガードレールとかガードパイプ、交差点手前の摩擦係数の高い道路面とか、反射板とか緩衝装置とかの交通安全施設の充実が決定的な鍵です。緩衝装置というのは衝撃のショックを吸収する安全装置。滋賀県大津市の交差点で、直進しようとした車両と右折しようとした車両がぶつかり、直進車両が左前方の交差点角の方向に暴走してそこにいた保育園児たちを死傷させたという悲惨な事件がありました。事故の翌日、車が突っ込んだところに水入りのドラム缶が何本も置かれた。ドラム缶は走ってくる車の衝撃を衝突によって受け止め、その背後にいる人や物の安全を確保する。しかし、私は、どうして事故の前にここにドラム缶を置いておかなかったのかと思いました。そうしていたらこの歩道の周辺にいる人たちの安全確保は格段に高まるし、園児たちは恐らく助かったのではないか。

一晩中寝ないで遠隔地間を往復する長時間輸送がある。居眠り運転が起きない方がおかしいとも言える。高速道路の事故は結果が深刻です。そういう運転をしなければまともな賃金がもらえないのなら給与条件や労務環境を整える必要がある。普通に運転して食べられなければいけない。そんなことをしたら会社が潰れてしまうというのなら運賃体系を変えなければならない。安全運転のコストは社会全体が引き受ける必要がある。これも大切な安全対策です。

事故が起こったとしても結果を極小化させる。これも広い意味での安全対策です。結果をより軽微にするために治療内容や医療体制を充実させる。事故が起きたら1分1秒でも早くお医者さんが診られるようにする。時間がかかると急速に生存率が下がります。X軸とY軸を書き、第1象限に反比例の曲線を描いてみてください。X軸は経過時間、Y軸は生存率。時間が経つと生存率が急速に落ちます。早く医療が施されれば死なない可能性が急速に高まる。それなら患者が医療機関に行く前に医師が事故現場に駆けつけようというので生まれたのが走る救急治療ドクターカーや空飛ぶ救急治療ドクターヘリです。静岡県でも18年前から聖霊三方原病院がドクターヘリを運用しています。

安全確保の知識を身につける

車や運転の知識をきちんと身につける努力も安全対策として大事です。みなさんは車社会のスタートゾーンに立っています。車社会に生きるということは、好むと好まざるとに関わらず車や運転交通に関する科学的な知識を身につけることを必須の前提とします。車に乗る人も乗らない人も車の知識を持つことによって自身の安全を確実に守ってほしいと思います。

私は、運転免許を取る前と後で歩行者としての自身を守る姿勢が変わりました。交差点の横断歩道を渡るとき、右から来る車がもし信号を見落として突っ込んできたら私ははねられる。その危険の有無を確かめるとき、私はそれまでは近づく車が減速しているかいないかを判断して確認していました。しかし、自分が免許を持ってからは右から近づいてくる車そのものではなく、運転しているドライバーの顔や視線を見るようになった。ドライバーが私を見ていれば、このドライバーは私の存在を意識して運転しているなと思う訳です。その方がより確実な安全確保策になる。そういう私の意識変化は自分の運転経験から来るものです。車や運転の知識を持つことは自らの安全をより確かに守ることにつながる。これも科学的な安全対策なのです。

私が先ほど来お話ししてきたことをこの国の交通に責任を負うすべての部署の人たちがきちんと自覚し実践することが決定的に大切な交通安全対策です。そして、そういう対策の前提として、発生した事故の真相と原因を究明し、どうすれば事故を防げたのかということについて解明をするという責任を警察が確実に果たすことです。これが交通安全実現の決定的なベースになると思います。

事故はどうして起きたのか-事件の現場その1

「注意」。それはいろいろな安全対策を補充補完するものとして存在します。「注意」の位置づけをしっかりつかんでほしいと思います。「交通安全」と書かれた幟が国道や県道沿いにたくさん立っていますが、この四字熟語を頻繁に唱えると交通安全が実現するのではなく、先ほど来お話していることを日常の生活の中で普通に考えるセンスを持つことが交通安全を本当に考えることであり、それによって交通安全を実現できるのだと私は思っています。

実際の事件のお話を2つほどします。私のそばの大きな図面と皆さんのお手元の図面は同じ物です。前を見て貰っても手元のものをご覧になっても結構です。

 この事故は東北のある大都市で起きた事件です。高校2年生の友人男子2人が郊外の自宅マンションから毎朝一緒に市の中心にある高校に通っていました。この日も自転車通行帯を西から東に向かって進みました。天気の良い朝でした。信号機のある交差点を右に曲がってしばらく行くと学校です。この交差点の手前は西から東に向かって130メートルくらいの上り坂。立ち漕ぎをして交差点まで行ってそこで右折することになる。その彼らは上り坂が始まる手前の辺りで右側の車道を同じ方向に向かう車が徐行しているのに気づく。

徐行は先の車が止まっていたためです。先の車が止まったのはその先の交差点の信号が赤だったから。対面信号が赤だと先頭の車が止まり、後続の車も止まってゆく。朝の通学時間帯は通勤時間帯でもあり走行車両がとても多い。道路は交差点130メートル手前の辺りがボトムになっているのですが、その辺りは車が停止態勢に入る直前の徐行状態だった。高校生たちはここで徐行車両の間を縫うように車道の中に入り込んでいった。

中央線の向こう側の対向車線はがらんとしている。130メートル先の交差点を交差方向から入ってこちらに向かってくる車もないとは言えないけれど、交差道路の交通は少なく、西進してくる車はほとんどいませんでした。彼らはどうして車道の中に入っていったかというと、学校が交差点の右方、南方向にあったからです。このまま交差点まで自転車通行帯を進むと、交差点で信号待ちをしなければならなくなるかもしれない。ここで道路を横断してしまえばそういう面倒なことは避けられる。信号1サイクルの待ち時間は登校時には辛い。こういう行動は誰でもしたくなりますよね。気持ちはわかります。

で、2人は揃って斜めに車道に入っていったようです。そこで事故が起きた。交差点の方から西に向かって走り降りてきたナナハン(750㏄)のバイクが斜め横断中の彼らの自転車に突っ込んだ。その衝突地点が↳です。先頭の彼は40メートル近く飛ばされて即死。彼と一緒に走っていた友人は激突の巻き添えで近くに倒され、骨盤骨折で何か月も入院することになった。西進してきたバイクの青年は自分の持つすべての運動エネルギーを高校生に吸収させて生き残った。ぶつかったバイクの速度は90キロを超えていた。加速性のよい大型バイク。道路はバイクの進行方向で言えば下り坂だったからなお速度が出やすかった。

それにしても信号は赤だったはずなのに、どうしてバイクは走ってきたのか、来られたのか。その答えは次のとおりだった。実はバイクの対面信号はもう青に変わっていたのです。信号待ちしていた車は東向きも西向きも先頭から走り始めていた。しかし交差点から130メートル手前の辺りの車はまだ止まったまま。交差点から130メートル以上後方はこれから止まる状況。交差点からの距離によって車の動きは大きく異なる。大きい交差点や交通量の多い交差点の手前は常にそういう交通状況の下にある。しかし、そういうことは高校生の彼らの日常感覚ではまだ気づいていなかったかもしれない。

彼らは立ち漕ぎ状態に入っていた可能性もある。両手でハンドルを握ったまま膝を伸ばし腰を上げるとライダーの体勢は前屈みになり、その視線は自転車の直近直前の地面辺りに向かいます。上目使いをしなければ遠くが見えにくい体勢です。彼らは朝日に向かって進んでいたために交差点の対面信号の色が逆光でよくわからなかった可能性もある。私は、事故が発生した時期に近い季節に現場に立ってみましたが、信号機と朝日はほとんど重なっていることを知りました。

私は、いま可能性という言葉を使いました。彼と一緒に走っていた友人は、何か月も入院することになったけれども生き残った。彼に聞けば状況はわかり、可能性なんていう言葉は使う必要がないはずです。それがそうはいかなかった。彼は事故の状況を自分の家族にもご遺族にも言わない。口を開かない。親友の死に直面した彼は、事故状況について誰にも何も話さない無言の人になってしまったのです。だから、私も「可能性」でしか物を言うことができないのです。

亡くなった少年のお母さんは私の前で涙を流されない強い方でした。しかし、私の前で激しく涙を流されたことがありました。ロケットというのでしょうか、蓋を開けるとちょっと物が収納できる胸に着けるアクセサリーですね。多く女性が身に着けている。そこに息子さんの喉仏の骨を納めていると私に告白された時でした。焼き場で係員から「これが仏様の喉仏の骨です」と説明されることがあります。座禅を組んでいるように見える喉仏の骨。これを取り分けて保存される方がいる。お母さんもそうでした。「私は息子とずっと一緒です」とおっしゃったそのときのことでした。

裁判所が認めた賠償額は多くありませんでした。斜め横断をした被害者の行動にも問題があるということでした。バイクの動きは一般の車よりずっと素早い。しかも下り坂。バイクは高い速度が出せる。バイクライダーの暴走の責任はもちろん小さくないが、被害者にも過失があるという判断でした。車や運転の科学、交差点付近の車の流れの実情などに関する知識が乏しかったことがこの事故の発生に関係しているのではないか。決定的な確認の方途はないけれども、そのことがこの事件の教訓の一つなのではないかと私は感じました。皆さんは近い将来運転免許を取るかどうかという問題に直面しますが、それ以前に自身の安全を守る必須の前提として、車と交通に関する知識を豊かに備えておくということがやはり大切だと強く思います。

事故はどうして起きたのか-事件の現場その2

 もう一つお話をしましょう。みなさんの手元にある図面の下の方のものです。高校を出て千葉市に住み大学に通った19歳の青年。親御さんは学資を出すとおっしゃったけれど、彼は自活しながら大学に行きたいと思った。将来の希望はケースワーカーでした。現場の感覚を身につけておきたいという希望から親の支援を断って新聞配達店に住み込んだ。奨学会から出るお金で大学に行き、朝夕、新聞を配っていました。

新聞配達のエリアは交差点の南東方面です。新聞配達店は交差点の北側にあり、配達からの帰りは、普通、南から北へこの交差点を直進する。事件は朝6時過ぎに起きた。この交差点に向け西の方から来た直進ワゴン車と交差点中央付近で衝突したとされている。どこで衝突したかは地面に書いてある訳ではない。↳の印は警察がそのように判断したということですね。バイクは交差点から東側8メートルちょっとのところに、彼は東側16メートルちょっとのところに倒れていた。

彼は50時間闘ったが、ついに家族との永遠の別れの時が来ました。お父さんにとってどうしても納得できなかったことは、バイクはどちらからこの交差点に走ってきていたのかということでした。怪我もしなかったワゴン車の運転手は、警察に対し、「自分は交差点を西から東に向けて真っすぐ抜けようとしていた。対向方向から来たバイクは突然自分の前で右折行動に入った。衝突は避けようがなかった」と言った。バイクが右折したということは、ワゴン車から見れば自車前方を右から左にバイクが移動したということですね。青年は何も反論できないまま亡くなった。目撃者のいない事故です。警察はワゴン車運転者の説明で納得したらしく、ワゴン車運転者の過失を大きなものと捉えないことにし、これを受けて検察はワゴン車の運転者について不起訴処分にしました。

お父さんは納得しませんでした。「警察の捜査は違うのではないか」。自分の手で事故の真相究明をしなければと決断したのです。新聞配達のエリアは交差点の南東方向に広がっていました。息子さんはいつもこの交差点を南から北に向けて直進し、交差点の北側にある新聞店に戻っていた。この時もいつもどおりこの交差点を南から北に進もうとしていたと思われる。これがお父さんの見方でした。新聞配達エリアからぐるっと反時計方向に回ればこの交差点に東側から現れることも考えられる。交差点の東側に自販機が設置されているから、仮に南側から来たとしてもこの交差点で一旦右折して自販機の所まで行きそこで何か買ったかもしれない。いつもの配達帰路をこの朝も通ったという保証はない。これが警察の見方。

青年は非常に几帳面な人でした。自分の行動や使ったお金のことなどを毎日きちんと日記に書いていた。財布に残っていたお金と前日の会計記録が十円単位まで符合した。お父さんは「自販機で何か買ったことなどあり得ない」と思いました。でもそのことだけでこの事故に関する警察の捉え方をひっくり返すのは難しい。几帳面な子だってちょっといつもと違う行動をとることもあるだろう。そう言われればそれまでです。

分析してもらえる専門家はいないかとお父さんは考え、必死に専門家を探し始めた。時間と労力をかけてあちこちの大学などに持ち込み、ついに分析してくれる専門技術者を捜し出した。その人は事故のワゴン車の同型車と、実際にはねられたバイクと同型のバイク6台を使って衝突実験を行った。

バイクと人では、バイクの金属部は摩擦係数が低く移動距離が長くなりますが、人の体は摩擦係数が高いためあまり滑らない。そのため普通バイクの方が人体より衝突地点から遠くまで飛ぶ。図面の移動距離はバイクが路外の何かにぶつかりブロックされた可能性を示唆しています。人が遠くまで飛ばされたということはワゴン車の速度が高かったことを窺わせる。鑑定というのはそういうふうに分析を進めるものです。結論。バイクはこの交差点に南側から来てワゴン車の右前方角辺りにぶつかって東南方向に飛ばされたというものでした。バイクとワゴン車の損傷状況から交差走行車両間の出会い頭の事故ということになり、警察検察の捜査には間違いがあると断定されたのでした。お父さんの執念がここに実りました。お父さんは訴訟提起を決断します。でもそれですべてが解決したのではありませんでした。

問題は、ではそのときこの交差点の信号は何色だったかということでした。ワゴン車は西から東に向かってこの交差点を直進しようとしていた。この時バイクが南側から走ってきていたとすると、東西方向が青なら南北方向は赤、東西方向が赤なら南北方向は青。交差方向の信号とは違う色になる。ワゴン車が青の直進ならバイクは赤なのに直進をしたことになる。息子さんはどうして赤信号に気がつかなかったのか。

その鍵はワゴン車の運転手の供述の分析にありました。彼は「バイクが対向走行してきてワゴン車の直前で突然右折をした」などとウソを言わず、「自分は青で真っすぐ行こうとした。そこにバイクが横合いから信号を無視して突っ込んできた」とありのままを言えば良かったではないか。

裁判の中で、私たちは次のように考えました。事実は、ワゴン車の運転手こそが赤信号を無視して交差点に突入した。彼はその事実を隠そうと考え、自分の対面信号は青だったと強弁した。しかしそうするとバイクの対面信号は赤だったと言わねばならない。ごまかしを重ねずバイクは対向方向からきたことにすればどちらも信号無視はしていないことになる。そこでバイクは対向方向からきたことにしてそれが自車の前で突然右折行動をとったことにした。そこで「自車前の突然右折」という話が生まれたのではないか。

このワゴン車の運転手は裁判中に行方をくらましました。運転手が行方不明になってもワゴン車の保険会社は責任を取らねばならないというのが賠償の仕組みです。保険会社は自身の主張の拠り所に逃げられて窮地に追い込まれました。裁判所は、自身の主張を貫けなくなって所在をくらましたのではないかと推測したようです。当然でしょう。裁判の結論は、お父さんが確信していたとおり、息子さんは信号を守ってこの交差点を直進していたというものでした。事件発生から実に8年、裁判を起こしてから5年。殺された仲間の敵討ちの闘いを弔い合戦と言いますが、お父さんは文字どおり弔い合戦だったと述懐されました。

私は法廷で、このバイク青年のお父さんに質問をしました。静岡県から東京地裁にバスできていたご親族の皆さんが傍聴席を埋めていました。弁護士の質問は当事者の方と事前に細かく打合せて行います。こう聞くのでこう答えてください、こう聞かれたらこう答えるのですよという風に台本を作って行うのです。お父さんへの質問は長く続いた裁判の最後の法廷でした。そのお父さんへの質問もこれで最後というところに来ていました。私は最後の質問は打合せなしの質問にしようと考えていました。その方がお父さんの生(なま)の思いが口をついて出るだろう、その方が裁判官に訴える力が強いはずだ、そう考えたのでした。

最後の質問です。私は、お父さんが黒いネクタイを締めていることに気づきました。「お父さん、今日は黒いネクタイを締めてらっしゃいますね」と尋ねました。質問とも言えない質問です。そこからお父さんの思いが激しくほとばしり出ると思ったのです。意外でした。お父さんは、私の質問に、静かに「いいえ」とだけ答えたのです。でもネクタイはどうみても真っ黒です。「いいえ」とはどういうことか。私は何と続けようかと戸惑いました。お父さんは少し間をおいて口を開きました。「今日だけではありません」「私は息子が死んでから黒いネクタイ以外締めたことがありません」。
触れなければいけないことがあります。このバイクの青年は実は静岡の出身の人だったということです。それもこの地の方です。しかもその青年というのは実はこの高等学校の卒業生なのです。彼は事件当時19歳の大学一年生でした。今、お元気だったら60歳になります。この事件は私が若い頃に経験した交通事故事件で、この青年はみなさんの大先輩になる方なのです。もう少しお話しをしますと、みなさんの学校は合唱部のオペラが有名なんだそうですね。最近拝見した皆さんの高校のオペラの案内パンフの中に、過去の公演の演目や出演者などの紹介があり、そこにこの青年のお名前が今でも出ていることを知りました。この方は合唱部の部長さんでした。皆さんの先輩は私が拝見したオペラの案内パンフの中に生きている。ということはみなさんの中に生きているということ。今日はこの青年のご家族の方が会場の後ろで聞いておられます。

事故にあってなければ、東北の高校生は50歳くらいになるでしょうか。この高校の卒業生は60歳。心豊かに幸せに生きてこられたであろう皆さんたち。そういう青年たちがまさに一瞬の偶然のゆえに、若くしてこの世を去った。去らねばならなかった。思い残すことがいっぱいだったろう、残されたご家族の思いはいかばかりであったろうと私は痛感します。

法廷は静まりかえりました。しわぶきひとつ聞こえません。しばらく静止画像のように世界が止まりました。私は打ちのめされました。私はこのお父さんと何十回も打合せをしてきた。それなのにお父さんがいつも黒いネクタイを締めておられたことに気がつかなかった。なんという節穴。お父さんの心も服装も息子さんが亡くなってからこの証言の瞬間までずっとその状態のままでいる。

交通事故は事故そのものの悲惨さだけで考えるのではなく、その後に長い長い苦しみが続く。そのことを強く強く感じさせられた経験でした。お父さんの言葉は裁判官だけでなくほかならぬ私自身の心臓に突き刺さりました。これが交通事故の悲惨さの全体像であり、そこに地獄がある。息子さんの死を決して受け入れないお母さんはロケットにいる息子さんとともに生き、焼津のお父さんは黒いネクタイしか締めずに今日に至る。

むすびに

交通事故は生涯にわたる苦しみを肉親や周囲に残します。死んではいけない、死なせてはいけない。傷ついてはいけない、傷つけてもいけない。事故は人をいかに塗炭の苦しみに追い込むものか。今日お話しした2つの交通事故事件は、私たちにそのことを強く訴えているように思います。
交通安全というのは、そういう苦しみをなくすための多くの関係者の努力、闘い、行動の結果として生まれるものです。そういうことを広い視野の中で考えられる人間になることが交通安全を本当に実現する前提条件になります。そして、交通安全を考えることや実現するということは、人間が人間らしく生きられる状況をこの社会にしっかり作っていくための前提条件でもあるように思います。

私たち大人は、みなさんにバラ色に輝く希望の未来を約束できる状態にない。そのことをまずもって詫びなければならない。その上での話ですが、やはりみんなの力でそういう社会を作っていただきたい。一人ひとりの命が大切に扱われ、誰もがのびのびと人生を謳歌できるような社会を作り出すために自分たちは力を尽くす気概を持って行動していただきたい。先輩が生きたかったであろう人生をあなた方自身が実現されるよう元気よく頑張ってほしいと心から思います。

私は、この先どれくらいこういうテーマに関われるか、みなさんとお会いできるかわかりませんが、もしみなさんに再びお会いできれば、「交通安全というテーマを通して自分は世の中をこのようにみるようになりました」という話を聞かせていただきたいと希望しています。長時間のご清聴ありがとうございました。


(注、これは2019年7月16日に静岡県のある高校で行った講演に補筆したものです。)

法律相談・お問合せ

▲ページ上部に戻る