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講演「裁判員制度はつぶれる」

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講演「裁判員制度はつぶれる」

(08.9.20 福岡市 浄土真宗本願寺派本願寺会館)

 みなさん、こんにちは。高山俊吉と申します。裁判員制度のことを一緒に考えながら90分を過ごしたいと思います。

○運動の広がりの背景に

裁判員制度に反対する福岡のみなさんの活動は全国の先頭を走ると言ってもよいほど活発です。全国の多くの地域のみなさんを励ましています。

お手元には、「裁判員制度はいらない6・13全国集会報告集」がありますか。表紙の下の写真は、東京の日比谷公会堂で、今年6月13日にもたれた集会の模様です。舞台左手に、「おかしいぞ! 日弁連 弁護士は権力と手をつなぐな」と大書された横断幕があります。福岡のみなさんが作ったものです。みなさんは、これを持って東京に来られ、壇上で広げられた。参加された全国の市民が、これをご覧になって、「日弁連はいったいどうした」と声をあげた。

そういう運動の中に、今日の集まりがあります。ここに集まったみなさんは、ここに集まったみなさんだけではない。福岡のみんなが、そして全国の多くの人たちが裁判員制度に関心を持っている、寒心を懐いている。そのど真ん中にみなさんがおられる。そう考えてよいと思います。昨日の『朝日新聞』福岡版は、「あす、裁判員制度反対集会開催」と紹介しています。みんなが懸念しているから、不安を持っているから、ニュースになる。

この間の新聞紙面を見ると、世界が激動状態になり、日本の政治の屋台骨がぐらぐらになっています。いつ何があったかも忘れてしまいそう。今月初めに米国の大きな住宅金融会社2社がつぶれかかり、米国政府が救済しなくちゃと言った。途端にリーマン・ブラザースが倒産した。大手の証券会社や損保会社がどんどんつぶれる、政府が支援するしないで大騒ぎになり、35兆円、日本の予算の3分の1以上に当たりますが、その金がつぎ込まれることになった。

私の所に法律相談に来られた零細企業の社長さんは、「革命が起きるんですかね。」なんて言いましたね。株は、今日は少し持ち直したようですが、急落する。日本は米国の影響が甚大ですね。アメリカが風邪をひくと日本は肺炎になると言うけれど、本家が肺炎になるとこっちはどうなるんだ。死ぬんじゃないか。そのまっただ中で、この国の宰相が「辞めた」と言った。去年も「辞めた」と言った宰相がいた。あっちもガタガタならこっちもぐらぐら。

臨時国会の冒頭で解散するっていうんでしょう。で、AとかBとかCとか、名前も言いたくないような人が出てきて、どうしたのこうしたのと言っているでしょう。でも、宰相の発言を捉えて、九州弁にはどういう特徴があるのかなんて、しようもない議論をやっている。言っている者も聞いている者もみんな虚しい。本気になって、AよりBの方がいいとか、Cの方がいいとか思っている人はいない。だれがなっても同じだと思っている。

「もうダメだ」という議論があるかと思えば、「賞味期限のあるうちに選挙になった方がいい」などとも言われる。賞味期限というのは腐ってないものにいう言葉です。元々、腐っているものには賞味期限はない。

途方もなくおかしい社会、政治、文化。もしかすると私たちは、生まれて初めてその状況にぶつかっているんじゃないだろうか。

自分自身、あるいは我が社のこれからについて、まったく展望が持てない時代がきている、私たちは、もう少しまともな経済や政治や文化を持っていたのじゃなかったか。根本に疑問を感じる時代が到来している。

○第二次世界大戦直後を思い起こす

少し過去に遡りますが、この状況は第二次世界大戦の直後の状況に酷似しています。超インフレ。値段が上がってモノが買えない。一方、どうして無謀な戦争をやったのかと戦争責任の追及が始まる、生活させろという要求と戦争責任追及の闘いが一緒になって行われる。1945年から47年にかけての時期です。

「生きさせろ」と言われます。生きられない時代だからです。1946年5月、飯米要求人民大会が開かれた。食糧メーデー。前年にできた幣原喜重郎内閣が年が替わって1946年の4月につぶれる、「辞めた」と言った宰相を私たちも最近見ているけれども…(笑)。6ヶ月の寿命でつぶれた。しかし、後継内閣が組閣できない。前代未聞の空白期間が生まれた。結局、5月下旬に吉田茂内閣が誕生するまでの1ヶ月近い空白です。

食糧メーデーはその時でした。「生きさせろ」「食わせろ」。「汝、人民、飢えて死ね。朕はたらふく食っているぞ」と書かれたプラカードが会場に現れた。それは不敬罪(ふけいざい)に問われた。不敬罪はこのころまだあったんですね。その後なくなり、この事件の処罰は名誉毀損ということになりましたが。「汝、臣民、飢えて死ね」。給食が出せなくて小学校が休校になる。政治の破綻、経済の破綻、その状況が今の状態と近似している。

1945年8月15日に皇国日本は敗北した。その直後、今はどちらかといえば右よりとされる読売新聞ですが、その読売新聞社で労働争議が起きた。要求の第一は「戦争責任の追及」。「読売新聞は、なぜ戦争を推進したのか」。そして「社内に民主主義を」、三番目に「我々の生活の回復を」、この3つが読売争議の要求項目。1945年9月13日のことでした。これがかの有名な読売争議です。

8月15日に、天皇が「終戦の詔勅」で「戦争は終わりにした」と言ったことで「終戦」という言葉がひねり出された。本当はもちろん「敗戦」です。そのたった28日後。読売新聞社の中で闘いが炸裂する。それから1ヶ月も経たないうちに戦争責任の追及が開始された。戦争反対の声がこの国にどれほど充満していたかを私は思う。今日から28日後にとてつもないことが起きるとしたら、それはこれまでに大変なエネルギーが蓄積されていたからです。28日前までの聖戦と28日後からの反戦。

戦争直後期最大の争議がこうして起きた。読売新聞社の労働組合は、「戦争責任の追及」と「生きさせろ」の要求で生産管理に入る。労働者たちが自分で新聞編集をする。『読売新聞』紙面に「我々は闘う。読者の支援を乞う」と決意表明する。当時の社長は戦前警察官僚だった正力松太郎です。

私の叔父は宮本太郎と言いますが、当時、読売の中間管理職でした。彼は、30代の若い九州総局長として、知覧で特攻隊の出撃状況を取材した。練習機のようなガタガタの飛行機が飛び立ってゆくのを、特攻隊員の母親が見送っていた。母親は子どもに分かるようにと、黄色い着物を着てパラソルを差していた。つらく厳しく見ていられる光景じゃなかった。しかし、自分はこの出撃風景を「空の荒鷲」などと勇ましい言葉で描いた。戦争推進・戦争翼賛の記事です。

叔父は、戦争に負けたそのときから、自分には戦争責任があると深刻に考えた。その反省から読売争議を始めた。彼は争議の中心人物でした。その彼は、「自分もある意味加害者。その痛恨の思いが自分を争議に立ち上がらせた」と言っていました。

読売が立ち上がれば、朝日も立ち上がる。読売新聞社は、1945年10月、国会の状況が緊迫し、報道が追いつかなくなり、新聞印刷ができなくなった。読売の労働組合が朝日新聞社に「読売新聞を朝日で印刷してくれないか」と申し込む。朝日新聞社は拒絶。まあ、拒絶するでしょうね、「あり得ない」って。そしたら、朝日の労働組合が「読売の労働者を救え」と決起した。そして朝日新聞社が『読売新聞』を印刷した。実際にあった話です。

私は、その状況を今の状態と重ね合わせてみます。戦争反対の声が今ほど強まっている時はおそらくない。死に体の福田政権も、テロ特措法は何としても成立させたいと狙った。今、政権は、何としてもアフガンに日本の「軍隊」を送れないかと考えている。

しかし、日本国憲法9条がある限り、簡単には行かせられない。自民党の新憲法草案も、超党派の改憲素案も、9条2項の「交戦権を認めない」、「軍備を持たない」を外せと言う。自衛軍と言うか防衛軍と言うかは違っても、そういう態勢を作れという点では完全に一致している。なぜみんなそろってそんなに危険な状況にこの国をもって行こうとするのか。

日本経団連は、2005年1月に「憲法9条2項を削除せよ」と提言した。経団連中軸の巨大企業は、中国や東南アジアなど各地に自社工場を持ち、現地の民衆を雇っている。そう言う会社の経営者たちは「自分たちの海外の利権は日本の軍隊で守ってもらいたい」と強く思っている。正直にそのとおり口に出した社長もいる。そこには利権と硝煙の臭いがもう耐えられない濃度で漂っている。

しかし、戦争直後と今を比べると、そこには決定的な違いがある。戦争直後は「なぜ、自分たちはあんな戦争を許してしまったのか」だった。今、私たちがいる地平は、これからこの国を危険な状況にさせないためにわれわれに何ができるのかだ。前に向かう状況にある。そこが決定的に違う。

○裁判員登場の時代は、制度反対が高揚する時代だ

私は、裁判員制度は、今、私が申し上げた時代情勢にビタッと合って登場してきたと思っています。時代が裁判員制度を登場させ、そして時代が裁判員制度反対の運動を高揚させている。

裁判員制度の登場の理由について、当局は、現在の裁判に是正しなければいけないことや改善すべきことはなく、司法の間違いや偏向を正すための制度ではないと断言している。

では、何のための制度か。国民がこの国の主人公として、司法を学習する仕組みなのだと言います。みなさんには、現在の裁判の正しさを学習してもらわなきゃいけないと。

正確に紹介しましょう。仲間由紀恵さんという女優さんが笑顔で迫る新聞全面広告にこんな言葉が登場する。「判決や刑罰決定までの決定を体験・理解し、犯罪がどのように起こるかを考える切っ掛けを作ることで、安心して暮らせる社会に何が必要かを自分のこととして考える。昨日までの自分とは違う自分になる」

あなたは昨日まで自分本位の勝手な人生を歩んできた。裁判員を体験することで、あなたはこれから人間が変わる。当局は変えたいと思っている。正しい裁判が行われているこの国の裁判所に参加し、この国の秩序を守るため裁判官が力を尽くしている様子を、行動を共にしながら体験してほしい。その一員として国を守る心を持って我が家や職場に帰ってほしい。そうすればあなたやあなたの家族も、そして周囲のみんなも、生き方が変わり、日々の物事の感じ方も変わる。こう言われているのです。

最高検察庁の総務部長をやった人が言う。「殺人事件の被告人や被害者と向き合い、被告人をどう処罰するのかを考える」。さすがは検察官、被告人は有罪だと思い込んでいる。「殺人事件の被告人や被害者と向き合い、被告人をどう処罰するのかを考えるのが裁判員である。今までは新聞やテレビで触れるだけだった国民が、直接、事件に触れ、判断をすることで子どものしつけや教育にも活きてくる」。「治安は人ごとではないという意識もこの中から生まれる」。国民は、治安の維持を自分の問題だと考える人間になってもらいたい。「そうしなければこの国はこれから保たなくなる」と言っている、つまりは。

教育基本法が変わったの、一昨年2006年。あのころ安倍という首相がいた。みなさん、忘れたかも知れないが(笑)。その人が参議院の本会議でこう言ったのです。「教育基本法の政府案は、志ある国民を育てることを目的とする。それは新たな国造りの基礎をなす」

志ある国民を育てるところに教育基本法の目的がある。20歳を越えたら裁判所に出かけていって、志ある国民として自分を磨く。そこに裁判員制度の狙いが繋がっている。世の中の役に立つ人間になろう。自分自身がこの国を守るために何ができるのかを考えよう。「滅私奉公」。少しご年配の方でないとこの字は想像がつかないかもしれない。自分を殺し公のために自身を提供する、自分よりも世の中の秩序が大事、出征兵士を「でかした」と送り出せる人間になろう。国を守る気概をもった人間を創り出そう。そういう国家政策のど真ん中に裁判員制度がドンとある。

「80%の民衆が裁判員制度に頭を縦に振らないでいる」ことを考えてみましょう。この国にはまじめ人間2割と怠け者8割がいるのか。断じて違う。この8割は裁判員はおかしいと思っている。胡散臭い。人を裁くことや処罰を支えに裁判所に動員する仕組みへの疑問が、みんなの中に様々なニュアンスを持って存在する。人を裁きたくない。死刑台に送りたくない。いろいろあるが、処罰を伴って裁判所に民衆を動員する制度に対する不信、警戒、怒りでいっぱいだ。

私はこの80%という数は「やっぱり、みんなすごいぞ」と思う。この数字を掘り込んでいけば、あの戦争で2千万のアジアの民衆を殺し、310万の同胞を死に致した、その反省の中から立ち上がった、反省の中からしか立ち上がれなかった人々の子孫が、今度は騙されないぞと一身をかけた抵抗を始める前兆ではないかと思う。いや、正確に言えば、その中身そのものではないかと思う。

あの戦争の前にも最中にも反戦の声をあげられなかった。国民総動員法とか、国民精神総動員運動とか、大政翼賛とか、隣組とかに対して、「それ違うよ」「間違ってるんじゃないか」「私は協力できない」と言えなかった。しかし、今、みんなそれを言い出しているのではないか。私はそう思います。

私は、冒頭に、「今日、ここに集まっているみなさんは、ここに集まっているみなさんだけではない」と申し上げた。みなさんの気持ちと繋がるものを多くの県民が持ち、それは全国民に繋がっている。私は、その力強さを感じるのです。

○戦時下における裁判の特徴と…

 政治・経済・社会・文化、ありとあらゆる事象に危険と不安が押し寄せている時代です。

「お上が持ち出す世直し政策」というのは何だろう。刑事司法に関して考える。「刑事司法」、こんな難しい言葉、使わないですね。もう少し普通の言葉で言ってもらいたいですね。裁判所、裁判と言いましょう。裁判の世界にも不安が押し寄せている。刑事裁判は早く適当なところで結論を出す。そして重く処罰する。この3つです。
簡易、迅速、重罰。「六字熟語」、今思いついた言葉です。「簡易・迅速・重罰」は、実は戦時裁判の原則です。兵隊さんが命をかけて戦っているときに、犯罪をやったか、やらないか、やったか、やらないか。そんなことをちんたらちんたら審理しいられるか。その間に兵隊さんは殺されてしまうぞ。今は国家存亡の時なのだ。こういう議論がまかり通るのが戦時なんです。

世の中の治安が乱れる時代は、世の中を緊張感で覆い、「不正」を厳重処罰で制圧しなければならない。最大の治安の乱れは戦争なのだけれども、戦争を遂行するためにこそ、その周辺部では「治安の乱れ」を徹底的に排除する。裁判員制度はその世界の現象です。

今日もここにマスコミの方がいらっしゃるかも知れませんが、戦時のマスコミジャーナリストは、「上手な文章書きになろう」なんて考えたりする。マスコミの時代責任を考えるより「ちょっと気の利いたことを書こう」の世界に逃げ込みたくなる。インテリにはそういう傾向が顕著にある。弁護士も同じ。技量を磨いて弁護士役割を果たそうなんて言い、「裁判員制度にも協力しながら」なんて権力に媚び始める。
いかがわしい、したり顔。気の利いたふりをし、本当はこの社会がどうなっているかを見ない。目の前に突きつけられても目をつぶる。そういう議論をまず専門家やインテリがする。これまで左翼ぶって気の利いたことを言っていた者がすいすいと転向して行く。そうやって戦争勢力が力をつけてゆく。

でも、今日の会場にも、東京の日比谷公会堂にも、「日弁連は権力と手を結ぶな」という大きな横断幕が出ています。民衆から「とんでもないところに飛んでいくことを許さない」という声を突きつけられ、専門家は自分の足下を見始める。みんなが、一体、自分は今、どこに立っているのかを考えなければならない。そういうところに私たちはいる。

○潮目が変わった

この間状況が激動し、潮目が変わっている。7月、福田首相は、裁判員制度の準備状況に深刻な懸念を持ち、「もっと広報をしっかりやれ」と法務省の担当者を何度も官邸に呼び出して強く指示した。「どうなっているんだ。みんなにちゃんと知らせているのか」「はい、知らせるほど、悪くなっております」(笑)。そんなやりとりをしたかどうかは知りませんが、第2の後期高齢者医療制度問題になるんじゃないかって心配したんですね。

「70まではきちんと裁判所に来い。75になったらさっさと死ね」。こういう構造をもくろんでいるんだろうという批判がきっと起こる。よく分かっていますね。批判の嵐を深刻に懸念している。そうしたら、社民党と共産党が、さっそく8月7日、「延期」「見直し」を提言した。同じ日に、鳩山民主党幹事長が「凍結も考えて」と言った。13日になったら、小沢代表が「民主党が政権を取ったら、国情に合わない裁判員制度は考え直す」と言った。

○延期や見直しではいけない

 私は、「見直し」とか「延期」とか、そんな生ぬるいことを言っていない。実施させちゃいけない。絶対にダメ、根本的にダメです。
見直し論や延期論が政党の中から出てきたことをどう見るか。4年と4ヶ月前に全党が賛成して国会を通した法律について、その一角が崩れた。選挙が近いという状況の中で、政府・与党が慌てれば、野党も心騒ぐ。国民は反発しているぞ、国民の理解・支持はまったく得られていないぞと。

実際、延期を言い出した政党は、そう言っています。国民を裁判所に拉致・動員し、被告人には途方もない人権侵害を押しつける。その骨格が変わらない以上、廃止しかない。そういう声がいかに高まったかということを政府や一部野党の動きは実に見事に反映している。その指摘にまず、社民と共産が崩れた。今度は他の野党、そして公明党、自民党の番だ。

しのぎを削る闘いという言葉があるけれど、ここから確実にしのぎを削る闘いになる。政権ガタガタになったって、死に体になったって、国会を再延長したって、再議決したって、自衛隊の補給艦をインド洋に送りたいし、アフガニスタンに軍隊を送りたいと考える政府です。そしてその狙いと連動している裁判員制度です。いや、もっと正確に言うと、ガタガタになりながらもじゃなくて、ガタガタになっているから考える政策です。だから壮絶な争闘戦にならざるを得ない。でもそれは痛快な闘いです。なんて言ったって味方が実に多い。

○裁判員制度はつぶれる

 つぶれるんですよ。今日の演題も「つぶせる」じゃなくて、「つぶれる」になっている。でもみなさん。つぶれるんなら放っておきジィーッと見ていよう、なんて言わないでください。裁判員制度は、本質的に成り立ち得ない内容のものだ、だからみんなで始まる前に幕引きにしようと言っている。幕引きにはそれなりに力が要る。幕は引かれる運命にあるが、幕を引くのは私たちです。その闘いが現に全国で始まっています。
お手元の報告集には全国で進む反対運動が紹介されています。特に強調したいのは、学校の先生とか地方自治体で働く人たちです。学校には、最高裁判所からDVDが送られてくる。「生徒にこれを見せてくれ」と。先生が納得しない。「やらない。闘う」とおっしゃる。「生徒を再び戦場に送るな」と言って反戦の闘いに立ち上がったのはかつての日教組です。今、日教組は裁判員制度を推進していますけれど、先生方の闘いの中で出てきた言葉は「生徒を法廷に送るな」です。とんでもない戦争翼賛政策に抗って現場の教師が立ち上がっている。

自治体労働者はどうして立ち上がるか。「裁判員候補者名簿」が、今年の11月ころまでに作られます。候補者名簿は、選挙管理委員会が持っている選挙人名簿をもとに作るけれども、選挙人名簿には戸籍情報が入っていない。戸籍の原簿には、裁判員の資格に関係する高度の個人情報、本籍地だとか、刑罰を受けたことだとかいろいろなことが書かれている。そういう情報を加えないと、裁判員候補者名簿が完成しない。そのために市区町村の戸籍係に「戸籍情報を裁判所に流せ」と言っている。それに対して、自治体労働者の中に「それは戸籍原簿の目的外使用だ」と抵抗する人たちが出ている。各自治体は、条例を作ったり改変したりして、情報を提供してもよいことにしようとしている。その動きに抵抗して闘いに立ち上がっている自治体労働者もいる。この地でも自治体労働者は立ち上がってほしい。

今日も、渡邉さんをはじめたくさんの福岡県の弁護士のみなさんが参加していらっしゃる。職層、職業を越えて制度反対の大きなうねりが起こり始めている。昨日、東京で開かれた「いらない! 大運動」の実行委員会でも、北海道からこの福岡まで、全国各地の生き生きとした行動が詳しく報告されました。私が報告するのもおかしいですが、福岡では、大分などの近県や熊本などの南九州各県にキャラバン隊を派遣して、みんなで制度反対の闘いを起こそうとしている。そういう力が各地に生まれ、広がっています。

隣組に由来する町内会があります。隣組は、戦後、町内会に組織替えされましたが、東京では、その町内会で「裁判員制度反対」の集会が開かれている。町内会と言えば、どちらかと言えば保守的な組織です。しかし、そこにも「裁判員制度に対して異論を言う人たちを呼んで話を聞こう」という声が生まれているのです。新聞はなかなか報道しないけれども、「反対勢力がヒタヒタと力を伸ばしている」のです。

○つぶすためにどうするか

その状況の下で彼らはどうしようとしているのでしょうか。工夫の最たるものは、今年5月に最高裁が発表したPTSD対策です。外傷性心的障害、衝撃的な体験をしてダメージを受けた人にケアをする。ただし有料。午前8時30分から午後5時までなんて言わない。24時間体制、夜中も相談に乗ってくれるというのがミソです。裁判員を体験した人が夜中に眠れなくなることを最高裁は分かっている。救急車が出動するから、安心してぶっ倒れてくれというような話。「分かった。安心してぶっ倒れよう」と言う人がどれくらいいるか(笑)。
でも、それが今最高裁がやろうとしている「対8割対策」なんです。
次に何をするのかというと、先ほど申し上げた「裁判員候補者名簿にあなたの名前を記載しました」という連絡です。段々にその方向に国民の気持ちを向けさせ、慣れさせてゆくという取り組みです。「安心して下さい。すぐ呼び出すのではないから」という言葉を付けて。

今年の11月末から12月にかけて約30万人に送られると言われる。全国平均で350人に1人、重要犯罪の発生率が高い福岡はもう少し多いと言われる。送られてくるのは調査票。裁判員になる資格をない人はそのように書けと言われる。介護を要する家族がいるかとか、2ヶ月以内の冠婚葬祭を書けというのもある。2ヶ月先の葬式って、そんな先の人の生き死にも最高裁は分かるって思ってるらしい(笑)。とにかくそういう回答を書けと言ってくる。

「どれにも当てはまらなければ返さなくて結構」と書いてある。ということは、返されなくても呼び出すということ。除外理由がないかと探してもない。何か書けないかと必死で考えても結局ないと知らせる。やらざるを得ないという気分にまず追い込み、「仕方がない」から「世の中をよくするのは自分だ」と思うように変えていきたい。そう考えているんですね。

そこでどうするか。大事なことから申し上げましょう。調査票など破いて捨てるも、嘘を書くも、何をしても「処罰をする法律はない」。裁判員法には、調査票なんていう言葉は存在しない。最高裁が勝手に作った「裁判員への誘導政策」の産物なんですね。

少し話を進めますと、裁判員制度が実施され、実際に事件が発生すると、候補者名簿に載っている人の中から裁判員が選ばれる。例えば、「海の中道大橋で追突事故が発生し、3人の子どもさんが海に落ちて亡くなった」という事件が発生すると、福岡地方裁判所が裁判員候補者名簿の登載者の中から裁判員を選ぶ。その時に送られてくるのは質問票。これは裁判員法に基づく「正規の書面」。ここにも調査票と同じように除外理由があるかないかなどと書かれている。で、裁判所に呼び出された裁判員候補者が、質問票への回答を見ながら裁判長の面接チェックを受けて、「やらせる」「はじく」「やらせる」「はじく」と振り分けられる。こういう順序を辿るんです。ですが、ここでは話を調査票に戻します。

今年送られてくるのは、そういう事件毎のものではなくて、「あなたは候補者名簿に記載されました」という連絡です。これは、さっきもお話ししたように、犬に食わせようが、破って捨てようが、送り返そうが、何をしても処罰の対象にならない。

「死刑制度に絶対反対」と書いて送り返すのも一つの方法。「戦争反対の見地から弾劾する」と書き連ねて送り返してもいい。基本を言えば、私たちは、この制度を来年の5月21日には終結させるという観点で考えたい。自分は除外させるとか、自分はやらないで済むようにするとか、制度発足後にどう楽をするかではなく、進ませない、始めさせないという風に役立てたい。

私が呼びかけ人の1人をしている「裁判員制度はいらない! 大運動」の事務局は、通知が来たら、FAXでも郵便でもよいから、事務局に知らせてほしいと訴えています。

その目的は制度廃止。名前を出さないでほしいのなら、「匿名で」と添え書きしてほしい。「名前をドンドン使ってくれ」というならば、そう言ってほしい。私たちは、これだけの人が、登載通知に「納得しない」と事務局に連絡してきていると公表したい。そのみんなの力、30万人の力で、1億人が裁判員制度に組み込まれるのを阻止したい。

登録通知が来た方々に制度廃止に参加していただく。参加といっても、東京まで来てデモの先頭に立ってもらうということではない。送ってもらえば「活用させてもらいます」ということ。そのみなさんと通知を受けなかった人が一体になって、5月21日の導入を阻止する運動を強く展開していきたい。そういう方針を昨夜、風雨激しい東京に全国から集まったみなさんで相談しました。

○裁判員制度導入阻止11月全国一斉行動

この11月、全国一斉に、裁判員制度の導入を許さない運動が計画されています。福岡でもいろいろと検討されているようですが、東京では、11月22日、都心で集会を持ち、その後、銀座に向けてデモをします。

各地で計画が練られています。仙台、神奈川、埼玉…。昨夜の報告は感動的でした。そのような闘いが11月に持たれる。その力で来年の3月ころには、今年6月の日比谷公会堂の1,500人集会をさらに大きな集会にして、後楽園ドームか、武道館か、これはちょっと言い過ぎたかも(笑)。でも、それくらいの心意気で、裁判員制度粉砕の全国的な集会をしたいと思っている(拍手)。

その状況に、今なろうとしています。自民党から共産党まで全政党がこぞって賛成した裁判員制度をひっくり返す勢いが生まれている。「民主的な手法」を通じて実現したかに見えたけれど、みんなの力でひっくり返る切っ掛けをつかんでいる。

○あらためて制度の問題点を言う

 裁判員制度とはどういう制度か。今日はその話をあまりしませんでした。私の話を今日初めて聞いて下さる方もいらっしゃることを考え、少しだけ申し上げておきます。裁判員制度は陪審制のようなものと思っている人、思わされている人がいますが、事実は全然違います。似て非なるものでさえなく、似ても似つかぬものです。

20歳以上の人がプロの裁判官と一緒に審理をする。重大犯罪事件の裁判だけやる。年間10万件くらいの公判事件のうちの3千件くらい。僅か3%でというごくごく一部の事件です。被告人が争っていようがいまいが、裁判員は登場する。裁判員は刑罰に関する判断もしなければいけない。多数決で結論を出す。その上で刑罰にも関係しなければいけないため、自分は無罪だと思っても多数決で敗れれば、被告人を死刑にするか何年かの懲役にするかという量刑についても意見を言わされる。「私は、この人は無実だと思っている」と言っても、裁判長から、「それはさっき有罪と決まった。有罪を前提に刑罰に関する自分の意見を言え」と言われる。

裁判員就任は基本的に断れない。例外は極端に限られる。巷間、結構断れるらしいという風評が広がっているが嘘だ。裁判員法には「父母の葬式ならば出なくていい」と書いてある。ということは、おじいちゃんやおばあちゃんの葬式なら裁判所出頭を優先しなければならない。それくらい厳しいのだ。一方、被告人は裁判員の裁判を絶対に断れない。

最高裁は「70%の事件は3日で判決を出す。90%の事件は5日で終わる。残り10%だけが6日以上かかる」と言っている。海の中道事件の審理がどれくらいかかったかご存じでしょうか。危険運転致死事件は裁判員対象事件です。これが3日から5日で判決だと言うのです。

私が無罪を獲得している事件の多くは交通事件ですが、無罪になるまでの審理期間は短くて3年、一番長いのが14年です。福岡高裁で逆転無罪になった事件、一審は熊本地裁宮地支部でしたが、これが3、4年かかってそれでも短い方でした。3日とか5日とか言われたらこれはもはや裁判ではない。

陪審とどう違うのか、ちょっとお話ししましょう。アメリカなどで行われている陪審制では、職業裁判官は、評議、評決に一切加わりません。プロの裁判官と素人の裁判員は一緒に論議しない。陪審裁判は被告人が無罪を主張したときしか開かれない。O・J・シンプソンもマイケル・ジャクソンも無罪を主張したので陪審裁判になった。有罪には全員一致が必要。わずかな例外はあるが、有罪は原則全員一致です。12人全員が有罪だと言わなければ有罪にはできない。陪審の無罪判決には検察官は上訴できない。陪審員の声は天の声です。

陪審については、米国修正憲法6条が、「被告人は陪審の権利を持つ」と定めている。陪審は被告人の権利です。被告人は陪審という武器を持つ。アメリカは独立戦争でイギリスから独立した。また、イギリスがわれわれを制圧してくるかもしれない。米国人民には国家権力は人民に悪をなすという深い猜疑心、悲観主義がある。だから、権力と対決する国民は陪審員という楯を持つ。それは文字どおり被告人の権利、12人の楯を持つという思想です。

○権利を行使するものではない

もう一つ申し上げましょう。裁判員制度はそういう制度であるが故に、正当な理由なくして出頭しなければペナルティが科せられる。権利だったら、放棄するのはその人の自由でしょう。選挙に行かなかったからといって処罰されない。処罰されないのは、権利を行使するかしないかは主権者たる国民の自由だからです。権利だったら享受するかどうかは自分が決める。投票したくないよ。冗談じゃないよ、芝居小屋で何やってんのってね。そういう議論があってもよい。けれども、裁判員制度の世界では、そんな言い方は通用しない。

「国民の自由にはさせないよ」というのが裁判員制度です。正当な理由なく裁判所に出頭しないと10万円以下の過料。間違ったことをした時の科(とが)。「10万円払ったら行かなくて済むなら10万円払おうか」と思われた方がいるでしょう。ダメです。払ってもまた呼び出される。ずっと払い続けることになります。

質問票に嘘を書いて出したり、出頭したときに嘘を言ったりすると、50万円以下の罰金。徹頭徹尾みなさんは試され、咎められ、動員の対象になっている。そこが陪審制と根本的に違うところです。

「市民の司法参加は良いことでは」と思っている方がいるかもしれない。福岡の弁護士会などもそんなことを言っている。裁判員制度は市民の司法参加とは違う。市民の動員です。自宅から裁判所に移動するのをすべて司法参加というなら参加でしょう。でも、行きたくて行く移動ではなく、「来い」と言われて行く移動です。自分から行く気もないのに「自分から行く気になって来い」と言うのは、自発参加擬装ですね。やっぱり「動員」以外のなにものでもない。赤紙による司法動員です。

ナチスドイツは「市民の司法参加」を強調しました。1935年にドイツで成立した「人種法」。ユダヤ人に対する差別・排外の法律です。ナチスは、ユダヤ人との結婚を禁止し、居住地を指定するなど、様々な抑圧を展開した。その時に、ドイツにおける市民の司法参加は、「市民の警察活動への参加」から始まると言われた。どこにユダヤ人が住んでいるか、どこにユダヤ人と一緒に生活をしているドイツ人がいるかを警察に通報する、その警察への協力活動が市民の司法参加の第一歩でした。つまり、あのファシズムの基底部に「市民の司法参加」があった。そうして、ドイツは奈落に突き進んでいった。そのきっかけが市民の司法参加だったのです。

今のこの国の司法はどうでしょう。今の司法はこれでいいのか。志布志で起こった公職選挙法違反事件。富山氷見の強姦事件。今の検察や裁判所はおかしくないか。映画「それでもボクはやってない」の痴漢事件で有罪判決を出した裁判官を許しておいていいのか。そういう声がみなさんの中にきっとある。

裁判員制度を推進する権力が、現在の裁判が正しく行われているという立場に立ちきっていること、そして司法への市民参加だなどと嬉しそうに言っている弁護士や弁護士会は、制度推進の悪だくみに目をつぶり、その問題性を決して語らないという状況があります。「市民の司法参加」が市民の権力的司法活動への拉致・動員であり、「お上の心を我が心とする」という悪だくみであるということを、私たちは絶対に見抜かなければならない。
極悪司法を正すのはこれからの私たちの闘いです。現状を是認して、志布志も氷見事件も間違っていないとか、仕方がないなどという立場に私たちは断じて立たない。現在のこの国の裁判のおかしさを徹底的に糾弾する立場に屹立する。現在の裁判でいいのだとか、間違っていないというような立場を根底から否定する。問題は、それをどのように実現するかです。

○松川事件

私たちは、権力の悪を糾弾したこと、市民自身の司法参加闘争をしたことがある。少しご年配の方なら、1950年から1963年まで14年間続いた「松川裁判闘争」という雪冤の闘いご存じでしょう。

東北本線、福島県松川町で、「レールの継ぎ目板を外して列車を転覆させた」疑いで、国鉄と東芝の労働者が捕まった。列車を転覆させた責任が厳しく問われ、死刑判決が出た。地裁、高裁、最高裁、差し戻し高裁、また最高裁。差し戻し高裁で完全無罪判決、これが二度目の最高裁で確定した。その間、日本中で、いや海外からも「無罪判決要求」「公正裁判要求」の運動が起き、裁判所がその声に包囲され、ついに無罪を勝ち取った。

「松川運動」という言葉があります。それだけでみんなにその意味が分かりました。「松川運動」というのは、裁判所を正しくさせるための民衆の決起行動だった。個人的なことを申しますと、私の母親も「松川守る会」に入っていた。私は、その「松川運動」こそが「市民の司法参加」だと思っています。

私たちが今やっていることに置き直して言おう。私たちは、裁判員制度導入の法律ができたその時から、司法参加をしています。「裁判員制度を導入するな」という司法参加運動をやっている。この運動こそが、国民が市民が「裁判をおかしくさせないようにしよう」という闘いです。具体的に身体を動かす作業です。今日、みなさんがここに集まっているのも司法参加そのものです。

この運動こそが、裁判所を監視し、裁判所をこれ以上おかしな方向に走らせないようにするための一人ひとりの決起です。日本の司法のあり方を改変して憲法をおかしな方向に変えようとするもくろみに正面から立ちはだかり、その野望を打ち砕きます。力強くそうさせていこうじゃないですか。

私は、私たちの力がいかに強いかということを、今、実感しています。決まってしまった法律の施行を待つばかりの状況なのに、ガタガタと崩れだすことなんか本来で言えばあり得ないのに、現に目の前でその状況が生まれている。

9、10、11、12、1、2、3、4、5、9ヶ月。ちょっと大変かもしれないけれど、仕事の合間にも、署名集めをしましょう。用紙をコピーしたりして、集めてください。国会にたくさんの署名を叩きつけましょう。ご家族、お知り合いの声を集めて福岡県内の活動に参加しようじゃないですか。福岡の結集が九州各県にどんどん広がります。今日は、山口の方も参加していらっしゃるようですが、そちらにも広がるでしょう。全国に発展します。その運動をさらにさらに発展させて裁判員制度を粉砕してしまいましょう。

弁護士も今頑張っています。福岡の弁護士さんも頑張っている。職業を越え、みんなの力を束ねていきたい。連帯、団結です。怪しげな時代に本物の運動を底のところから作っていきたい。

あっちいったり、こっちいったりの話をしたような気がします。堅苦しい話をし過ぎたでしょうか。トイレも我慢してお話を聞いてくださったことに心から感謝します。みなさんと一緒に腕を組み手をつないで頑張っていきたいと心から思います。

なんと、見事に4時20分がきておりまして、時間はしっかり守った高山です。取りあえずここで話を終わらせていただきます。長い間のご静聴に心から感謝いたします。ありがとうございました。

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