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「交通事故鑑定は科学的に」 裁判所の事務処理発想も問題

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「交通事故鑑定は科学的に」裁判所の事務処理発想も問題 【交通事故鑑定】

昨年末、最高裁は、トラックと衝突した乗用車の運転者に関する業務上過失致死傷事件で、1、2審が有罪判決の根拠として採用した乗用車の走行速度の鑑定は疑わしいとして高裁に差し戻す判決を言い渡した。この種のケースでは初めての最高裁判決である。遅きに失したとは思うが、ようやくこのような判断が出されたことに私はあらためて感慨深いものがある。

交通事件は、瞬時に発生完了するため事案の正確な再現が難しく、無責任な創作を許しやすい犯罪である。その裁判は、過失犯の気安さから不注意の認定に安易に走りがちである。また、同種事犯が多い(地裁刑事事件の4分の1近くが交通事件である)ため、裁判は事務処理的にすすめられることが多い。このように誤判につながる悪条件が競合して存在する交通事件では、科学的な捜査と裁判を保障することがとりわけ重要になる。

私は、交通事件の事実認定と鑑定をめぐる問題点として、次の点を指摘したい。第1は、捜査当局の事故解析能力の欠如である。事故解析の力を十分にもたない捜査官が、運転者の責任について誤った判断をおかすケースは少なくない。実務の中では、常識では考えられない現場見取り図の作図例や、それにもとづく取り調べ調書に出合うことがよくある。捜査方針を決める段階の誤った判断が検察官に引き継がれ、公判で検察側に迎合する誤鑑定に発展するケースがあるだけに、このことは重大である。

第2は、非科学的な鑑定の存在である。事故の力学的解析にはそれほど高度の物理学上の知識を必要とするものではないが、専門家の判断の中にも時として基本的なミスと非科学的な断定がみられる。その原因として、事故解析の多くが、科学捜査研究所など捜査当局側の研究機関や、当事者性をもつ可能性のある自動車メーカーなどによってなされていることがあげられる。事故解析の能力をもつ公平な第三者は極めて少ない。そしてそのことは、事故解析学の真の発展を阻害し、不当に責任を負わされる被害者を構造的に生むことを意味する。

第3に強調したいのは、裁判関係者の事故解析に向けた姿勢の弱さである。裁判官、検察官、弁護士を通じて、解析報告書や鑑定書を分析検討する能カと意欲は決して十分とはいえない。特に、定型事務処理的発想で交通事件をとらえる最近の裁判所の傾向は、事案の解明を一層困難にしている。例えば、昭和42年から52年の11年間で、地方裁判所の刑事鑑定は58%も減少してしまったが、このことは真実の発見という裁判の目的から後退する方向に事態が進みつつあることを示すように思えてならない。

年間50万件もの交通事故が発生している今日、我々の日常生活の周辺に無実の罪に泣き、非科学的な事実認定に苦しむ者がふえることがあるとすれば、それはひとつの重大な人権問題である。

日弁連は、昨年11月人権擁護大会で「裁判と鑑定」のシンポジウムを開くなど、鑑定問題に関する具体的な検討を開始しているが、私は早急に確立する必要があると思われるいくつかの事項をあげておきたい。まず、法律実務家が交通事件をベルトコンベヤー式に処理する昨今のやり方を改めて、科学的な事実認定のために、もっと努力することが第1歩である。

そして弁護士会は、交通事故鑑定の現状に関する批判的検討を組織的に推進し、事故解析の独占状況を打破する方向を具体的に明らかにすることである。また国は交通事故鑑定の科学化のために、各種の研究機関が得ている鑑定に関する情報、データ、研究実験設備などを国民に公開開放するよう立法上、行政上の改善に着手すべきである。

交通事故鑑定科学の真の発展は、国民と切り離された密室の中では期待できない。そしてその被害者は主権者である国民であることをしっかりと認識しなければならないと思うのである。

(朝日新聞「論壇」 1980年1月22日)

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