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自民の司法改革構想の危うさ

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自民の司法改革構想の危うさ【司法改革】

自民党の司法制度特別調査会(保岡興治会長)は、6月に「司法制度特別調査会報告-21世紀の司法の確かな指針」を確定して政府に提出した。内閣のもとに各界の人々を集め、司法制度を審議する組織(仮称=司法制度審議会)を設置すべきであるというのである。

参議院選挙以来、自民党の民心離反を指摘する声が多いが、参院選直前のこの提言もまた、健全な市民感覚とは大きく隔たり、国民の信頼をつなぎとめる意識を欠いた自民党の政治姿勢をあからさまに示すものである。

報告は、自民党の司法改革の視点を次のように位置付けている。「司法は、安全な国民生活の確保と公正で円滑な経済活動という国家の基礎を支え、活力ある社会を維持するための基盤をなす」

改革の第1の柱は国家の防衛である。「安全な国民生活の確保」とは、「社会の治安を脅かす犯罪や公正で円滑な経済活動を阻害する経済事犯など」に的確に対応することを指すとされる。その種の犯罪行為にすみやかな決着をつけることこそ社会の秩序を取り戻すかぎだとし、そのために捜査や裁判の体制を整えようというのである。

もちろん、報告に盛られた裁判の早期決着や治安の早期回復も大切でないとはいわないが、司法の本質を国家運営という「高み」から見る視点には異論がある。国や自治体などが憲法や法律を守るようチェツクすることこそ司法の任務だという視点はどこに行ってしまったのか。犯罪の取り締まりや処罰をスムーズに行うことが司法の第1課題だという姿勢には、市民生活の隅々まで国が管理する警察国家の思想を感じないではいられない。

改革の視点の中で「安全な国民生活の確保」の意味を右のように規定したために、その目的の実現のために弁護士が担うことは何もなくなってしまった。司法は国策遂行の道具だというに近いこの報告はどう見ても異様である。

改革の第2の柱は企業の防衛である。「司法は公正で円滑な経済活動や活力ある社会の基盤だ」という背景には、司法は企業を中心とした経済活動に奉仕すべきだという考え方がある。その認識がらは、大企業などにより権利を侵害される市民が司法に救済を求めることなど、考えも及ばないことになる。

ここで、安全な国民生活と司法のあり方の関係を考えてみよう。政府の戦争責任を追及する裁判、公害発生の企業責任やこれを放置した行政責任を追及する裁判、金融機関など大企業の腐敗の責任を追及する裁判……。こうした国民の基本的な権利の消長に関する裁判などを通して、司法の責務が今ほど問われている時はない。司法が憲法と国民の側に立つのか、それとも憲法と国民をないがしろにする側に立つのか。その司法を基本的に反憲法、反国民の立場に立たせる危険性を秘めているのが、自民党の「司法改革の視点」なのである。司法の現場で、社会正義と基本的人権の擁護を旨として日ごろ職務にいそしむ弁護士一般の日常的な感覚で率直にいわせてもらえば、自民党の調査会報告は傲岸不遜である。

報告は、「戦後つくり上げてきたわが国の司法について、抜本的な検討」を行い、「21世紀のあるべき司法の全体像を構築していくため」、政府に司法制度審議会を設置し、その第1歩を今秋にも踏み出させたいという。私は、この審議会が、日本国憲法の定める司法の人権保障の精神を根本から突き崩す方向を打ち出すことを強く恐れる。私たちは、中学校の社会科で三権分立の政治原則を学んだ。司法、立法、行政のいずれもほかの権力をけん制することによって、国を誤らせないようにしようという考え方である。司法を行政目的や企業の要求に奉仕させようというのは、その基本的な枠組みの根幹を揺るがす挑戦である。

司法を国策と経済の道具とする危険な動向に対して、各野党は警戒と反論の声を上げるべきであるし、国民の権利擁護に関心を寄せる各界、各種の団体も声を上げる必要がある。世論の強い反応と批判の高まりを期待したい。司法は、人権擁護の最後のとりでなのである 。

(朝日新聞「論壇」 1998年9月4日)

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