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「国民思想善導計画は破綻する」

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国民思想善導計画は破綻する 【裁判員制度】

「頸を絞めたのが片手か両手かなど関係ない、聞いていてむかつくんですよね」(仙台地裁09年11月)。「ずるい、あなたはずるい」(東京地裁立川支部同年12月)。「被告人の『わかりません』に腹が立つ」(福岡地裁10年1月)。「(被告人の判決批判を聞き)ケチをつけられ納得できない」(東京地裁同年1月)。「裁判員裁判は犯罪の抑止力になる」(長野地裁松本支部同年3月)。「全額払って責任をとってから死んでくれ」(大津地裁同年5月)。

処罰志向市民に改造する仕組み

「重い」「悩む」「つらい」「苦しい」「吐いた」「眠れない」「もういやだ」「制度に疑問」「早く忘れたい」「最後にしたい」「徴兵制度のよう」「なぜ裁かねばならないのか」…。素朴な疑問と反発の間を縫うように、まがまがしくぎらつく言葉が登場している。裁判員裁判の経験を「生活に生かす」ことを考える国民も現れた。「懲役8年の判決に悔いなし」(朝日8月6日)、「『自らの日常の大切さ』をより強く感じるようになった」(同紙8月3日)、「地域社会でできることを実践したい」(読売同日)…。その感覚を広げようという日弁連裁判員本部委員発の「裁判員経験者ネットワーク」の紹介にマスコミもご執心である(8月3~4日各紙)。

昨日までとは違う、治安を自ら考える自分に

「判決や刑罰決定までの過程を体験、理解し犯罪がどのように起こるのかを考えるきっかけを作ることで、安心して暮らせる社会に何が必要かを自分のこととして考える、昨日までとは違う自分になる」という最高裁・法務省・日弁連の全国紙一面広告(06年10月)を思い起こす人もいよう。「いろんな犯罪を自分たちの問題として考え、この社会が少しでもよくなるように願う」という最高裁ポスター(同年)も同じだ。そういえば、「国民が直接事件に触れ、判断をすることで、子どものしつけや教育にも生きてくる。治安は人ごとではないという意識も生まれるはずだ」と断じた元最高検総務部長の発言(朝日07年6月26日)もあった。

変わってもらいたい理由

秩序を守って生きさせ、そのように生きることを隣人に要求する人間を作るのが裁判員制度の目的だ。しかし、強権を発動しても善導教育を断行しなければならないところにこの国の危機が反映している。しかも、屋台骨ぐらぐらのこの国がひねり出した国民動員制度の現状は、制度推進派にとってはまことに由々しい。罰則で強制しても大半の国民はついてこず、「昨日までとは違う自分」になろうと一歩前に出る国民は何とも少ない。多くの人々は、かつて当局が敢行した「サクラ」や「やらせ」がまた始まったのかくらいの冷ややかな目で眺めている。むしろその風景は、一昔前なら謀反とか叛乱という言葉が似合う状況だ。

「新しい公共」論とともに潰える

ここに至って、私たちは、鳩山(前)首相が施政方針演説で国家戦略の柱と謳い、菅内閣が強力に推進する「新しい公共」政策との関連に気づく。裁判員制度は、一人ひとりの国民に公共を支える思想を植えつけようというサッチャー以来30年の新自由主義路線と同根だ。

翼賛弁護士(「全国情報」第10号4頁参照)は、この仕組みは単なる司法制度ではなく社会制度であり政治制度なのだと言ってのけた。そのとおりである。「新しい」制度で想起されるのは、対米戦開戦前夜の近衛内閣が打ち出した草の根の大政翼賛運動「新体制運動」。「新しい」と称するものの内実は、何のことはないお国のために身を捧げろという滅私奉公論だったのだ。

「新しい公共」は、基本的人権と民主主義と恒久平和が基本原理とされる現憲法下に登場した「装い新たな」滅私奉公論である。しかし、今度は甘くない。菅内閣が国民に見限られるのがそう遠くないように、危険なもくろみの総体を国民がまとめて見限るのは近い。 マスコミも一皮剥げばガタガタである。風穴が空いていると書いたが、実情を正確に言えば私たちの運動が風穴を開けているのだ。

裁判員制度という「現代の赤紙」「現代の徴兵制」をめぐる大本営発表垂れ流し報道を私たちは許さない。歴史をくり返させない私たちの運動は、今や明らかにマスコミの一角を崩し始めている。

(裁判員制度はいらない!全国情報 第11号)

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