酒類提供重罰化は不合理【道路交通法改正】
私は改正試案に根本的な疑問を感じる。第1に懸念されるのは、事実認定に関する警察暴走の恐れである。提供者の前では飲酒運転をしないと思える態度を示しながら、実際には運転してしまう人もいる。
「客の飲酒運転は予測できたはず」と言う捜査側と「運転しないようにお願いして納得してもらった」と言う提供者側のせめぎ合いは、捜査側の判断一つで結論が出されかねない。基本的に客に酒を飲んでほしい立場の提供者側としては、どういう場合に責任を問われなくなるのかはっきりせず、相手が飲酒運転に及ぶと自動的に責任を問われるのではないかと恐れるのは当然である。
これは、飲食店などの酒類提供者を常時犯罪容疑者と目し(少なくともそれと紙一重の位置に置き)、警察権限の異常拡大に道を開くものとの非難を免れまい。
■市民の意識変革こそ重要な課題
第2は、第1に関連して、飲酒時の運転を避ける感覚・慣習が市民生活中に根付いていないなかで酒類提供を問題視することの無理である。
車の歴史は100年を優に超えるが、家庭でも学校でも職場でも、飲酒行為と車両運転を不倶戴天の関係と見る教育指導は長きにわたってされてこなかった。当局は、「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」と言うだけで、飲酒運転の危険性について一般市民に理解させる努力を放擲してきたのである。
私は、公共交通機関が少ないある地方で、大きな宴会の参会者が続々、堂々と車を運転して帰るのを目撃して驚がくしたことがある。
ゴルフ帰りの飲酒運転も当たり前だった。警察も保健所も酒造会社も市役所も町役場も本音を言えばそんな感覚で飲食店や市民に向き合っていたし、また現に向き合っているのである(昨年のビール関連飲料の出荷量が91年以来最低になったと報じられ、その原因の1つに飲酒運転の厳罰化が指摘されている。それは飲酒人口の相応の部分が飲酒運転者によって占められている現状を示している)。
飲酒に関する市民の意識変革実現という腰を据えた計画こそ課題なのだ。その手を尽くさぬまま安易な対策に走ってみても、酒類提供者を困惑と困難に追い込むだけで問題は解決しない。当局は、過去の無責任を新たな無責任で糊塗してはならない。
■限りない重罰化は恐怖の社会ヘ
第3は、第1、第2に関連して、重罰万能思想の不合理だ。飲酒運転や同乗・提供を罰してもその効き目は早晩低下し、必ずより重罰化をとか新犯罪の創設をという話になる。限りない重罰化、犯罪化は威嚇と恐怖の社会の所産である。
暗黒街犯罪を助長させるだけに終わった禁酒法時代はそんなに古く遠い国の話ではない。
(全国商工新聞 2007年2月12日)
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