交通事故時の補償解決実績、および著書、講演実績多数 交通事故の弁護士と言えば高山法律事務所

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えん罪防止の立場から裁判員制度を考える

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えん罪防止の立場から裁判員制度を考える

(09.2.6 田町交通ビル・ホール)

【はじめに】
今、ご紹介いただきました弁護士の高山です。
今日は、「狭山事件の再審を求める東京集会」という大変大事な集まりに講演の機会を与えていただいたことをはじめに感謝申し上げたいと思います。ありがとうございます。
さて、1時間の時間をいただきました。みなさんのお手元にレジュメがあります。これを頭に置きながらお話をしたいと思います。

石川さんの事件、狭山事件は私が23歳のときの事件です。石川さんは私と1つ違い、私は1つ年下ということになります。私は大学生でしたが、ずっと関心を持ち続けてまいりました。
第3次の再審請求という大変重要な時期にさしかかり、裁判、刑事裁判というものをどう考えるのか、この大きなテーマにみなさん方、そして私たちは直面しています。

裁判員制度導入という問題と真実発見を責任として負う国がこの時期に果たして、その責任を全うできることになるのかどうか。狭山事件の今後を占う意味においても、とても重要な制度の改編を許すかどうかという、そこに問題が収斂する状態になっています。
今日は、その意味で冤罪防止の立場から裁判員制度をどう考えたらよいのか、このことをテーマにしてお話ししたいと思います。

【裁判員制度の特徴】

今、司会の方からご案内いただきましたが、私は「裁判員制度はいらない! 大運動」の呼びかけ人の1人です。11人の呼びかけ人がいますが、いろいろな方がおられます。ジャーナリストもおられれば、大学の先生もおられる。私のような弁護士もいる。裁判に裁かれる被告人や被疑者の立場から反対する人もいる。裁判官として反対する人、検察官として反対する人、弁護人として反対する人、反対する人はそれぞれの立場からたくさんいます。反対する人たちの数の方がずっと多い。賛成している人の数を数えるのは容易です。少なすぎるから。

裁判員制度の特徴をお話しするときに何を中心にお話しするかということがあります。今のようにいろいろな人が深い懸念を持っている、批判的に見ているとか、そのお一人おひとりの立場によって、どこを特徴として捉えるのか違う。そのことを話しているだけでも1時間を使ってしまいますので、ごくごく要点だけを初めにお話しさせていただきます。
裁判員制度の特徴というタイトルをつけましたが、制度の構造をこんなところで考えればよいだろうというお話です。

これはどういう立場かを超えて裁判員制度の特徴をまずは掴んでおいていただきたいとこう思います。

まず、重大事件の裁判だけを行います。年間3千件くらいと言われています。1年間に起こる刑事裁判というのは10万件ほどありますので3%、100件のうちの3件そういう割合、比率になります。どんな事件になるだろうかということを申しますと命に関わる事件がほとんどですが、数の多い順に言いますと、強盗致傷、強盗をして傷害を与えたですね、殺人、現住建造物等放火、人が住んでいる家に火をつけた、強姦致死傷、傷害致死、強制わいせつ致死傷、強盗強姦、強盗をして強姦をした、そういうような事件です。

これで85%、つまりこのような事件ばかりです。悪逆非道というか、残虐というか、命に関わる重大事件ということがお分かりいただけたと思います。100件のうちの3件を取り上げればそういう事件になります。

20歳以上の市民が職業裁判官と一緒にやる。一緒に評議・評決をする。審理・評議・評決を一緒にやる。
被告人が「自分は罪を犯した」と自白している場合にも裁判員が参加する。
裁判員は、量刑、刑を決めることですね、死刑とか無期懲役とか、その判断にも参加する。
多数決で結論を出す。
市民はよほどの場合でないと裁判員に就任することを断れない。
被告人は裁判員の裁判を受けることを絶対に断れない。つまり、「私はプロの裁判官の判断を求めたい」ということができないのです。

これはとても重要なことですが、公判が始まる前に公判前整理手続きといって、裁判官、検察官、弁護人が裁判の進行に関する打ち合わせを終えてしまう。そこには裁判員は参加しない。被告人は参加してもしなくても良いということになっている。つまり、裁判員が法廷に登場するときには、事件の大きな筋道、審理の骨格が決まってしまっている。裁判官は事件の内容をほぼ把握しているが、裁判員は何も分からないという状況で始まる。

大半の裁判が3日で判決を出す。3日、狭山事件は結論を間違ったけれど、何年間だったでしょうか。3日で判決の言い渡しをするのが7割、9割までは5日間で判決を言い渡すと最高裁は言っている。

1人の被告人がいくつもの罪を犯した場合は3日や5日では無理だろう。イヤ、大丈夫、できるのです。どうしてできるのか。事件をバラバラに分けて、一斉に始める。イヤ、正確に言うと、少しずらして行うのですね。すべての事件に関わるのは裁判官、裁判官は共通で、今週、来週、再来週と行う。

例えば、A、B、Cと3つの殺人事件があり、この被告人はその3件の殺人事件の犯人と疑われている。今週は、Aグループ、来週はBグループ、再来週はCグループと、裁判官は一緒で、裁判員はどんどん替わっていく。裁判員は3日か5日で仕事が終わる。そしてCのところの裁判員のグループが最終判決を下す。最後の裁判に関わったグループが、どうしてAとかBとかの事件について判断できるのか。裁判官が「ちゃんと伝える、伝達するからそれを聞いてくれ」と言うのです。

自分が担当したCの事件について無罪だったと判断しても、AグループやBグループの方が有罪だということになったとする。自分の担当が無罪でも、他の事件は有罪だから、最終的に有罪判決を言わなければならない。情状はどうやって考えるのか。「伝え聞いた話でやってくれ」と言われる。これを部分判決と言います。

裁判員が参加するのは一審だけです。控訴審、東京高裁とか、上告審、最高裁とか、これはプロの裁判官だけで行います。

今、申し上げたようなことが裁判員制度の大きな特徴です。

【陪審制度と裁判員制度は違う】

 少し説明を付け加えておきましょう。
陪審制度と似たようなものだと思っている方が結構多いと思います。全く違います。
市民が法壇に座るというところが少し似ているだけです。

陪審のようなものだと言ってこれを推進して、市民が司法に参加することは国の主権者として当然の行動だといったような、とんでもないデタラメがよく言われていますから、陪審とは違うよと言っておく必要があります。

陪審制度というのは素人だけでやり、プロは参加しません。裁判官は、審理の進行の整理をするだけで、協議の場には入室することさえ禁じられています。
しかし、裁判員制度では、裁判員と裁判官が一緒にやります。プロの裁判官というのは、生涯の自分の生業として裁判官の道を選んだ人たちです。生まれて初めて裁判所に来た人がそこでプロと対等に議論ができると思うか。できるというのです。最高裁は。「裁判は簡単です」というのです。簡単です。嬉しそうな顔をした女優さんなどを登場させてね。

裁判員になったときのための本というのがたくさん、売りに出されています。売れていないですが。易しかったら本を出す必要はないだろうと思うけれど、売られている。やっぱり難しいらしい。易しいけれど、本を読んだ方がよいと言われている。買う気にならないですよね。易しいのか難しいのかはっきりしてくれ。

陪審というのは、被告が自白した場合は、開かれません。もうそれはプロの裁判官が淡々と量刑だけの判断を行う。日本は違う。裁判員制度は違います。「自分はやりました」と言っても裁判員はそこに加わるのです。量刑の判断まで言わされる。量刑って分かり難いでしょう。やったかやらなかったか以上に分かり難い。人の物を盗むと懲役が6年なのか、4年なのか、3年なのかどこで区別するのか。

裁判員制度は多数決で結論を出すが、陪審制度に多数決はないのです。全員が一致、ごくごく例外の州が一部にあるのですが、絶対多数決でなければならない。12人の陪審員のうち、1人でも無罪だと思うと、有罪ではないと思うと、有罪判決が出せないのです。こういう場合は、「判決不能」というのです。つまり、有罪判決が出せない。

裁判員制度では多数決だからどういう問題が起こってくるかと言いますと、有罪か無罪かを多数決で決める。5対4とか、6対3とか、あっこの数字分かりますか。6人が裁判員で3人がプロなんです。だから9人という数字です。

5対4とか、6対3とかそういう数字で有罪だとしますね。無罪を主張した4人とか3人は多数決で敗れたので、有罪という判断を下したグループの一員になります。有罪となると今度は量刑を決めなければならないでしょう。それもまた多数決で決めるのです。

無罪を主張した4人とか3人は「私はさきほど言ったとおり無罪だと思っているので、量刑については参加したくありません」となるでしょう。でも、「それはダメです。先ほど、多数決で有罪と決まりました。だからあなたは量刑を言いなさい」と裁判長に言われるのです。無罪だと思っている人も量刑を言わなければならない構造になっています。多数決の構造である以上、必然の結論ですね。

アメリカの陪審制度には基本的に多数決というのはないのです。「怒れる12人の男」という名作があります。今でもDVDなどでご覧になることができます。テレビなどでご覧になった方もいらっしゃるでしょう。

1人が無罪だと思って、みんなを説得して全員が無罪だと思うドラマテックな…ドラマですけど。彼はそういうことをしなくても、彼が無罪だと思えば有罪判決は出せなかったのだけれども、そこはドラマですから全員一致で無罪にしようというお話になっている。1人でも有罪にできないと思うと有罪にならないというのが陪審の構造です。

陪審の世界では、公判の前にプロの裁判官が全体を整理して、下ごしらえを全部してしまうなどという構造はありません。すべてが法廷で始まります。

それから3日や5日で結論を出すなどという議論は全くありません。
O・J・シンプソンの事件、アメリカンフットボールの選手が前の奥さんを殺したのではないかと疑われた事件ですが、この事件は無罪になるのに10カ月かかりました。
10カ月、陪審員はホテルに缶詰になった。長いです。10カ月は。でも、1年を越してイラクへ行って、もしかしたらそこで命を落とすかも知れないという国ですから、国内のどこかのホテルで10カ月いるくらいなら幸せだと。殺されること、死ぬことはないだろうと、そういう世界です。マイケル・ジャクソンの事件では2カ月半ほどかかりました。
3日で終える5日で終えるなど全く決められることではないのですが、日本ではそういうことになっている。

なぜ、そんなに早く終えるのか。それは裁判員に迷惑をかけたくないからだそうです。とても配慮の行き届く最高裁です。でも、そんなに気持ちが行き届くのならば、やらないでくれと言いたいけれど、それはやる、来てくれと。そして今度は、裁判員に迷惑をかけたくないからという理由で、今度は被告人に対し「迷惑をかけないため、3日で判決だぞ」と言う。

陪審制度には、部分判決などというアクロバット的、曲芸的裁判はありません。全部やります。時間をかけることを厭わないのですから、裁判というのはべらぼうに時間がかかると考えているからです。

陪審制度との違いがお分かりいただけたと思います。
陪審とはアメリカの憲法に規定されているのです。「被告人は陪審の権利を持つ」と書かれている。陪審とは被告人の権利なのです。弁護人はディフェンダーとして被告人の盾です。だけれども、弁護人が被告人の盾であるその前に、12人の陪審員が盾なのです。
12人の陪審員を説得しきった検察官だけが有罪を取れる。12人の陪審員が「あんたの立証活動は確かだ。うん、納得のいくものだった」とこういうふうに応えたときに有罪が言い渡される。「有罪でも仕方がない」と去っていくのです。消えていく。自分たちの役目は終わったのだから。盾なのだから、量刑には関与しないのです。

裁判員は、裁判官と一緒に裁判官もどきをする、裁判官のまねごとをする。だから国家権力そのものなのです。だから、陪審員は量刑には関与しないし、裁判員は量刑にも関わるのです。国のやることを一緒にやる。それが裁判員です。

国がもしかしたら被告人に対してとんでもない人権侵害をやらないように、死刑台に送ってはいけない人間を送らないように、被告人の盾になるというのが陪審員なのです。

だから、また、「陪審の権利を持つ」となるのです。権利というのは、放棄してもよいのです。選挙権は権利だから、行使しなくても処罰はされない。権利というのは捨てることの自由があるということです。

だから、自分は、陪審の裁判をうけたくないということが言えるのです。これは無罪を主張している被告人でもです。
日本はどうか。先ほどお話ししました。被告人は無罪を主張していても、有罪、自白していても裁判員の参加する裁判を絶対に拒絶できない。

陪審というのは、国は国民に対して悪を成す可能性が高いので、国が国民に対して悪を犯すことを阻止するために登場したという制度なのです。基本的に国への深い悲観的な見方、猜疑心を持っている。アメリカがイギリスから、アメリカ革命ともいわれる独立戦争をしたときに、きっと必ずイギリスは私たちを抑圧に来るだろう、そのときに備えて政府が人民を痛めつけることを許さないという問題意識、考え方に則って作られたのが陪審制度なのです。国に対して、極めて批判的な厳しい姿勢でみるという思想が陪審制度にはあるのです。
裁判員制度には、そういう姿勢は全くありません。

【裁判員制度の本質】

少し、論を前に進めます。制度の本質を陪審との対比で考えてみます。
裁判員制度というのは、2001年、内閣に置かれた司法制度改革審議会というよくある審議会が出した答申に基づいて始まりました。2001年6月、この時期は小泉内閣が発足した時期なのです。小泉内閣は、司法改革を「国家戦略として位置づける」といった。
物々しいというか、おどろおどろしいというか、国家戦略です。

その司法制度改革審議会が出した「裁判員制度をぜひ採用せよ」としている文書を見ると、「裁判員制度は被告人のための制度ではない」とはっきり書いてある。これを読むだけで陪審制度と根本的に違うということが分かります。被告人の制度ではない。
書いた人の名誉を重んじて、丁寧に言うと「被告人のためというよりは」、こういう持って回った表現をする人はイヤですね、「被告人のための制度というよりは、裁判制度として重要であり、国民にとって重要であるために導入する」と書いてある。

何度か読まないとよく分からない書き方なので、私は簡単に言ってしまいますが「被告人のための制度ではない」と言っているということです。もっと分かりやすく言いますと、被告人を処理するための新しい方式、処理するための新方式です。

その時から、裁判員制度の法律案を作る準備が始まり、2004年5月に裁判員法が成立するのです。その準備に関わったスタッフの裁判官の委員で池田修という人が、法律ができた後に解説書を出しました。この人は今、東京地裁の所長をしています。

その解説書には、「裁判員制度は、日本の裁判がこれまで基本的に正しく行われてきたという前提に立って構築されたものであり、裁判の正統性を国民に知らせるための制度である」と書いてある。正統性の統の字は、当たるではなく統一の統で、これは由緒が正しいとか歴史的に正しく伝えられてきたというときに使う言葉です。日本の裁判の正統性を前提として作られている。さらに「一部に裁判員制度は陪審に進む道程、一里塚であるというような議論が行われているけれども、それは全く間違いである」とも書いてあります。

では、裁判員制度の目的は一体何なのか。
この東京地裁所長は「正統性の学習だ」と言っていますが、こういう説明はいろいろな形で行われています。

例えば、時々、全国紙で女優さんを真ん中にドンとおいたりして「裁判員制度がはじまります」などと書かれた全面広告をご覧になったことがあるでしょう。仲間由紀恵さんとか、長谷川京子さんとか、上戸彩さんだとか、私は女優さんの名前をこれで覚えた。みなさん嬉しそうな顔をしてね。浮き浮きするような顔で。裁判は浮き浮きしませんよ。どんなに小さい裁判でも浮き浮きするような裁判なんてないです。道路交通法違反で速度違反があったかなかったかでもです。私は、交通事故事件を結構扱っているのでこういう例を出しちゃうのだけれど、楽しく裁判所に行く人なんていないです。勝ったときは嬉しくてホッとして、みんな笑顔になるけれど、裁判を楽しそうに描くということ自体、事実に全く反します。
こんなことを私がみなさんに講釈を垂れる必要は何もありませんけどね。みなさん方が一番よく分かっておられる。

さあ、その嬉しそうな女優さんを背景にして書かれている言葉がある。どういう言葉が書かれているか。
「どうして犯罪が発生するのか、犯罪の発生の経過、そして裁判の経過を現場でみることによって、この世の中がもっと安全な世の中になるためにどうしたら良いかを考える。そういう人間にみんなでなろう」と、こう書いてあるのです。

丁寧にも最後に書いている言葉は「あなたは変わる」です。
裁判員制度を体験することによって、あなたには変わってもらいますと。これまでの自堕落な人生を歩んできたみなさん、裁判員を体験してまっとうな人間に変わってもらいたい。自分がこの世の中の治安を守るという自覚を持って日々暮らす人間にこれからはなってもらいたい。そう書いてある。

最高検察庁の総務部長だった人が「裁判員制度の目的は2つある」と言っている。
1つはコストを安くすること。司法のコストを下げる。どうして安くなるか。市民を参加させ、市民を参加させた以上、迷惑をかけられないという理由で短期間に判決を出すとなれば、司法は安上がりになる。これが1つ。

もう1つは「裁判員を体験することによって、治安を守るのは自分だという自覚を持つようになる。どうして罪を犯すことになったのかということを考える人になる」。検察官にとって、目の前にいる人は罪を犯した人で有罪に決まっているのです。無罪である可能性というのはないのです。そうすると「日々、そういうことを考える人間になっていけば、しつけや教育にも役立つであろう」と書いている。

子どもさんに夕餉の場で、夕食を食べながら「そんなことをすると懲役12年ですよ」なんていうお母さんに、「いやいや、懲役6年くらいだろう」というお父さん。
群馬県の大学の先生が「裁判員制度を導入すると暗くなる」と言われました。本当にそうなりますね。日々の話題、日々の生活感覚の中で、ご飯を食べながら、みそ汁を啜りながら「罪を犯すとこんなことになる」と話す家庭がしつけの効いた家庭であり、そして治安の良い社会であるということです。

 

【ナチスの市民司法参加】

 国のあり方を決めること、国民を統治すること、統治の判断のまっただ中にその国民自身をぶち込んでしまう。国民をして国民を統治させる。隣人を裁く。そういう国のあり方というのは歴史的にみると、極限的に国家の構造が危機に直面したときに取られてきた政策です。

ナチスが人種法を法律として成立させたのは1935年です。ヒトラー率いるナチスが「国民の司法参加」ということを言ったのです。ナチスにおける司法参加というのは何かというと、まず警察参加、警察活動に国民が参加することです。そのことを強調した。

人種法は、ユダヤ人がドイツ人と結婚することを許さないとか、決められた居住地で生活をしなければならないとか、そういうことを決めた法律です。そして市民は、それが本当に守られているかどうかということをきちんと国家に通報するという形で、警察活動に参加するということなのです。ユダヤ人が住んではいけない地域に密かに住んでいるとか、あそこで事実上の結婚生活をしているとか、そういうことを密告することが、まず警察活動への参加、ドイツ人の国が乱れないように、安定したきちんとした国家であるために、国民一人ひとりがその自覚を持って参加しろと言ったのがナチスドイツだったのです。

市民の司法参加については、「国の主人公が主権者として司法に参加することは良いことじゃないか」とかで、裁判員法は全党一致で国会を通った。自民党から共産党まで、みんな賛成した。途方もないでたらめです。

市民が参加をするのがみんな良いことだというならば、市民が戦場に行く徴兵制も市民の軍事参加というのだろう。市民の兵役参加、兵役に就くことが国の主人公として素晴らしいことだとなるのだろうか。

 

【裁判が簡易・迅速になると…】 

 裁判員制度は「徴兵制だ」「現代の赤紙だ」という人がすごく多いです。考えてみると、徴兵制というのは、まさに文字通り人を殺しにいく仕事でしょう。裁判員は裁判所へ行き、戦場へは行かないのだけれど、しかし、場合によっては人を死刑台に送ったり、根本的に人権侵害をする無期懲役の刑に処したりする。その作業に参加させられることでしょう。

公の秩序を守るために参加すること、この社会が安全な社会であるために、自分に何ができるかを考えろという訳ですから。最高度に国の安全を守る作業というのは、戦場へ行って敵を殺して来ることでしょう。つながります。思想としてつながるのです。

戦時司法という言葉があります。戦時には、司法が変わっていく。どう変わるかというと、3つの特徴があると言われています。「簡易」「迅速」「重罰化」です。
簡易、簡単に結論を出す。迅速、急いで結論を出す。重罰化、そして重い罰を下す。

兵隊さんは戦地で命をかけて頑張っている。その時に、この人物が人を殺したのか、殺していないのか、何年もかけてやっている暇はない。こういう議論が出てくるのです。

そうすると、まず、戦争に反対している人たちを極めて重い罰を下し、場合によっては死刑にする。これは治安維持法という法律として、みなさんご承知だと思う。そういう社会の構造、骨格そのものを問題にするような犯罪だけでなく、すべての犯罪、交通事故に至るまで、犯罪に対し簡略に結論を出すという構造になってくる。

刑事裁判で人を有罪にするときには、なぜ有罪なのか理由を書かなければならないということになっています。しかし、理由の何を書くのかということについて、あの太平洋戦争の真最中に、刑事訴訟法を改正してしまった。どう変えたかというと、有罪だということを決めた証拠のタイトルだけを書けばよいということにした。

タイトルを書く。例えば、死体検案書、写真撮影報告書などです。それまでは、その写真撮影報告書のどこをどう見れば有罪だと考えられるかという説明を行っていたのです。
ところが、そんなものはいらない。今、国が大事に取り組んでいるときに、そんなことをやる暇はない。簡略にタイトルだけを書けばよいということにしちゃった。そういうことです。このような簡略化、そして迅速化、3日判決、5日判決、これはその典型だと思うけれども、このような裁判にする。

そして重罰化。どんどん、重罰化になっている傾向が一般の事件でもあることはご存じでしょう。交通事故事件などもどんどん重罰化されています。ものすごいです。危険運転致死傷でひき逃げが重なると30年の懲役です。今、殺人事件でも1人殺人だと平均10年とか10数年くらいが多い。殺す気があって殺して10年、結果的に死なせてしまって30年、どこかで何かがひっくり返ったと言って良い状態が起きています。これら全体の構造はこの国がとても危険な状況にぶち当たっていることを示している。

【感覚と気分の裁判】

 どういう裁判になるのか。裁判員制度の裁判を予測してみましょう。
まず、超簡易、超迅速化の結果、どういう判決になるだろうか。私は、感覚と気分の裁判になると思います。あの人は顔が悪いから有罪だろう。イヤ、真面目にそうですよ。

だって3日で判決を下すのですから。今日始まって明日、明後日には判決でしょう。顔を見ること以上のことができますか。感覚と気分で判決を下す。それ以外にないですね。

みなさん方に少しお話しをしますと、ペルー人が小学生の女の子を殺したという事件が広島でありましたね。1審は有罪になり、控訴審で差し戻しになった。1審は裁判官が裁判員裁判を予想して、超短期に結論を出した。このため、ペルー人はこの女の子を自分の家の中で殺したのか、家の外で殺したのか分からんということになった。「まあ、どっちでもいい、その辺だ」という判決にした。控訴審の裁判官は「その辺ではダメだ」と言った。家の中なのか外なのか、「家の中もしくは外で」という判決だったが、「これでは裁判ではない」と差し戻した。

差し戻したこの構造が善しか悪しかはなかなか難しい。なぜかというと1審はそれで無期懲役にした。控訴審の裁判官は、1人の被害者でも死刑になり得るという狙いを持って差し戻しをしたのかもしれないし、裁判はこんなのではダメだと差し戻ししたのかもしれないので、何とも言いようがないけど。ともかく、「家の中もしくは外で殺した」のでは、裁判にならないと差し戻ししたのです。

さて、みなさん、この裁判は超短期にやったのですが、それでも2カ月かかったのです。2カ月やって家の中なのか外なのか分からなかった。それを3日でやるというのですよ。

再来週、おそらく判決が出ると思うのだけれど、東京江東区のマンションで、すぐ近くの部屋の若い女性を殺してバラバラにしてトイレに流してしまったという事件がありました。法廷でその切り刻んだ状況を尋問して、傍聴していたご遺族が号泣しながら退廷したという事があったでしょう。あれは、どぎつく状況を描写することによって、被害者が1人でも死刑判決にしてやるという検察官の思惑が、ものすごい、なんというのでしょうか、途方もない法廷を作り出しました。実際、検察官はこの後、死刑を求刑した。

弁護人が「被告人が自分でやったと言っているのだから、そんなに細かく切り刻んだ状況を聞かなくてもいいだろう」と言った。被告人はもう精神のバランスを欠いていて「いいんです。私はそんなことを聞かれても仕方がない人間です」と言った。それを捉まえて裁判官は「被告人がいいと言っているのだから尋問を続けてください」と言った。それで検察官はまた聞き出した。頭を割った状況、脳みそを取り出した状態、そのときの感触、臭い、そういうことをずっと聞いた。これは、とんでもないという気分だけで、結論を持っていくような劇場型の法廷を演出して見せたのです。
さて、この事件でも、裁判官だけで被告人が犯行のすべてを認めていて、審理期間は7日間なのです。素人が6人入って争っている事件で、どうして3日間でできるのかということです。
裁判が裁判の体を成さなくなる。裁判なんていうものでは全然ないものに変わってしまう。
法廷が真実を発見する場から、非難や攻撃、誹謗、袋だたき、そういう場面に変えてしまう。
それは、冤罪を防止するという思想とは全く違う、対極的な思想に基づく裁判制度だというように言わざるを得ない。
みなさん方は、狭山事件という途方もない冤罪事件を目の当たりにしてこられた。支援運動の中でも刑事裁判については人一番敏感に感じられる方々だと思います。
そうだとするならば、裁判員裁判というのは、裁判員制度などというものは、絶対に許してはいけない。日本の裁判を根底からひっくり返してしまう。悪魔の裁判制度であると思っていただいてよいと思います。

 

【弁護士も反対だ】

 裁判員制度は、先ほど申し上げた2004年5月、5年間の準備期間を経て、2009年5月に施行するということになっています。今から3カ月後ですが、最高裁の調査では82%以上の人たちが裁判員制度に消極的であるという。100億を超える広告費をつぎ込んで、嫌いな人をどんどん増やして、今日に至った。知れば知るほどみんなイヤになった。

裁判員の立場からイヤになる人、被告人の立場からイヤになる人、どちらでもイヤな人、裁判官にも弁護人にもイヤな人だらけ。日弁連も最高裁や法務省と一緒になって推進している。非常に情けない、けしからんことです。

しかし、弁護士の中にも反対意見は非常に強い。
私はその反対の筆頭と言ってよいだろうと思うけれど、だが、私だけではないのです。
裁判員制度に反対というのは圧倒的な弁護士です。圧倒的な弁護士は裁判員制度に反対なのです。私は去年の2月、ちょうど1年前、日弁連の会長選挙に裁判員制度反対を主張して立候補しました。立候補者は2人、一騎打ちです。

もちろん、私は、裁判員制度反対だけでなく、いろいろな主張をしたけれど、大きな柱は裁判員制度反対なのです。「改正した方がよい」とか、「改良しなければならない問題点が多い」とかそういうことを言っていない。「ヤメロ」「絶対反対」「実行してはいけない」と言った。私、敗れたんだけれど、43%の得票率だったのです。「負けて喜ぶな」と言われちゃいますけれどね。でも、57%対43%、あんまり悪くないでしょ。相手方を勝たせようという人たちは「高山を当選させたら、裁判員制度は本当に潰れる」と必死になって票集め活動をやった。選対本部が法務省の中にできたという噂がある。相手方ですよ。私じゃないです。薄氷の勝利、顔色なしの勝利とも言う。

いくつかの弁護士会が反対決議を出しています。新潟県弁護士会だの栃木県弁護士会だの、つい最近は千葉県弁護士会が出した。そういう状況です。

 

【断末魔の裁判員制度】

 そして、裁判員制度に反対する市民運動が進んでいる。
私も呼び掛け人の1人ですが「裁判員制度はいらない! 大運動」というのが全国で行われている。北海道から沖縄まで、それはすごいです。私は、東京だけでなくあちこち行って喋っていますけど、本当にみんな反対。ある街頭行動で裁判員制度反対のチラシを配ったら、受け取った人が翌月の街頭行動ではチラシを配る側として参加するため、わざわざ出て来られた。つい最近では、労働組合まで決起した。

みなさん方のこの運動には、たくさんの労働組合が支援団体として参加しておられる。
ぜひ、みなさん方も職場に帰って、今、ちょうど春闘の時期だから、春闘行動と結合して裁判員制度反対ということを入れてもらいたい。
私たちを呼んでもらえれば、話にも行きたい。

全国の反対運動はすごい。この数年間の反対運動の結果、何が生まれたか。
去年の7月には、福田という首相がいたんです。みなさん、とうにお忘れになったかもしれないけれど。福田という首相が「裁判員制度は第2の後期高齢者医療問題化になる」とおそれを感じ、危機だと捉えた。彼はそれに悩んで、裁判員制度に悩んで首相を辞めたという説があるのです。75歳からは特別の仕組みを取って保険料を天引きして、特に所得の少ない人が不利益になる。要するに早く死ねということか。「70歳まではなんと言っても裁判所に来い、75歳になったら早く死ね」と、そういう構造になるということで、裁判員制度が国民的な批判にさらされることを怖れた。

裁判員法は全党一致で成立したけど、去年の8月、社民党と共産党が延期を発表した。
民主党も小沢代表や鳩山幹事長などが「個人的には止めた方がよいと思っている」と言った。去年12月には、国民新党と社民党が一緒になって「止めさせよう」という方向を打ち出した。選挙が近づくと有権者の動きに敏感な政党はみんなそそくさと方針を変え始めている。

自民党の議員が私に「裁判員制度とはどういう制度ですか」と聞いてきた。「あんた、手を上げたとき、何を考えて手を上げたのか」と聞いたら、「分からなかった」と答えた。
裁判員法が成立した当時、野沢法務大臣は国会で「私の妻はやりたくないと言っています」と答えた。

そういう運命の下にあって今日、裁判員制度は気息奄々、断末魔と言ってもよいでしょう。もう少しの力があると、これで裁判員制度は粉砕される。

【真の市民による司法参加を】

 どうしたらよいのかということについて、最後に少しだけお話しさせてください。
何をしたらよいのか。
廃止に向けた決起です。

でも、狭山事件を取り上げるまでもなく、裁判は滅茶苦茶じゃないですか。
だから、「その滅茶苦茶を変えていく、その少しの切掛け、よすがとなるのであれば、裁判員制度にも良いところはあるのではないか」という人に対して、私は言う。

市民参加というのは、国に対して無限の猜疑心を持って、陪審制度のところでお話ししたことですが、猜疑心を持ってちょっと待てというときが市民参加なのです。
権力と一緒になって横に手をつなぎながら、一緒に何かやってみましょうというのは市民参加ではない。

廃止に向けた市民決起、廃止に向けた市民行動こそが本当の市民の司法参加だと、私は思っています。
日本の司法のあり方に根底から疑問を持って行動することこそ、市民の司法参加の中身です。

松川事件がそのよい例です。みなさんは、松川事件のことはよくご存じだと思うけれど、松川運動という言葉がありました。松川事件の支援運動、狭山事件の狭山運動です。
松川事件がどういう事件だったかを詳しくお話しする時間はありませんが、レールの継ぎ目板を外して列車を転覆させて人を死亡させたという事件です。

何人もの人が死刑、無期懲役などの重刑になり、1審死刑、2審も死刑、そして最高裁で検察官は被告人たちが犯人ではないという重要な証拠を握り潰していたということがばれた。それで差し戻しになった。差し戻し審が無罪判決を出した。検察がまた上告したけれど、最高裁はついにこれを認めなかった。5回の判決で無罪になった事件です。

松川支援運動は学者・文化人なども巻き込み、広津和郎さんや宇野浩二さんなどの作家が本を出しました。私の母親も「松川を守る会」に入っていて、署名集めなどを一生懸命やっていました。裁判をおかしくさせないために、一人ひとりの市民が立ち上がったのです。全世界からと言ってよい。

そして無罪になった。これが市民の司法参加です。
みなさん方が今まで、狭山事件で市民の司法参加をされてきた。みなさん方はその先頭におられる。

 

【裁判員制度を進めているのは…】

 何か新しい制度を作ってそこに参加して何かをやる。これを私の言葉ですが「箱を作る」と言います。「箱物行政は問題だ」というけれど、箱を作ったって、その中で本当の闘いをしなければ何もならない。

もっと敢えて言うならば、現場の闘いに絶望した人たちが「箱でも作ってみようか」と考えはじめたのが裁判員制度なのです。
現場の一つひとつの闘い、それを闘いきることを断念した人、絶望した人たち、絶望の司法政策です。

しかも、みなさん、あの最高裁が裁判員制度を推進しているのですよ。
あの検察庁、法務省が裁判員制度を推進しているのです。
最高裁や法務省が人民から包囲され、「とんでもないことをしてきた」と糾弾され、「申し訳なかった」といって裁判員制度を導入することになったのなら、私も少しは賛成してもよい。とんでもない裁判をやってきた下手人、最高責任者が裁判員制度を推進しているのだ。
この一事によって、この一言によって、もう答えは明らかでしょう。

みなさんは、昨年来、いろんな社会情勢を見てこられた。一挙に世界経済がアメリカ発で危機に直面したでしょう。生きるか死ぬかという状況に全世界の人々が今、追いやられている。

昨日(2月5日)の『朝日新聞』朝刊は「パナソニックが何万人も解雇する」と報道しています。そしてマクドナルドが異常に売れているとも。みんな、安いところになだれ込んでいる。そして、ソマリアの海賊退治に自衛隊が出て行くという法制度が具体的に立案された。どんでもない経済情勢ととんでもない政治情勢の中で、とんでもない行動計画が立案されている。
その真ん中に裁判員制度がある。

そして、それに反撃・反対する声もかつてなく強まっている。さっきお話ししたように決戦です。

 

【闘って勝つ】

 衆議院と参議院のねじれ現象、私に言わせればチャンチャラおかしいですね。そんなものはたいしたことではない。
国会と民衆の間に途方もないねじれ現象が起きている。裁判員制度を「みんなでやろう」と言ったら、みんなが「イヤだ」と言っている。「冗談じゃない」と言い出した。この状況が、今の政治に責任を負ってきた人たちに対する私たちの回答です。

力強く進めてみようじゃないですか。みなさん、裁判員制度反対、冗談じゃないという声がこんなに強まっている。多数派です。多数になっているここでバスに乗り遅れるとまずいですよ。多数派の気分は良いですよ。

5月21日施行されるのではないか。そんなことはありません。
途方もない状況に追い込まれているのは彼らです。我々の方が強いのです。

4月21日、ちょうど施行1カ月前に、私たちは日比谷野外音楽堂に集まります。裁判員制度を潰す全国集会を開催します。5千人入れるんですね。5千人、木によじ登るくらい一杯にしたいと思っている。潰してしまいたいと思っている。

日比谷野外音楽堂を予約しようとしたら、4月21日しか空いていなかった。4月21日といえば、5月21日のちょうど1カ月前、まるでその日に集会を開催してくれと言わんばかりです。用意され、提供されたので、ありがたく頂戴し、この日にやるということにした。天の命ずるところであるとこう思っています。

ぜひ、狭山の支援運動にかかわっているみなさんは、その周りのその周り、あんまり遠くへ行くとアルカイダまで行っちゃうかもしれないけれど、友だちの友だちに呼び掛けていただいて、参加していただきたい。
本当に参加していただきたい。
裁判員制度を潰す闘いと狭山の闘いは完全に底が通じています。通底していると私は思います。

『裁判員制度はいらない』という本が、私が書いたのですが売れているのです。裁判員制度を進めるという本は全然売れていない。生まれがよいので「ざまーみろ」と言いたいのですが、今日、この本を超特価でおわけします。10部持ってきたので、先着順10名様で受付の所に置きました。1365円の本が1000円になるという、どうしようもない話をしている。終わりはもう少しハイブローにやっていきたいのに、こういう話をしてしまいました。

闘う、闘って勝つ。
そして新たな地平の先に、基本的人権が尊重された刑事裁判をこの国において確立させる。
あの憲法の刑事人権規定が、いくつもいくつも書いているあの基本原則が、本当に花開く司法をこの国で確立させる。
そして私たちは、石川さんを完全に奪還する。
そういう闘いを構築したいと思う。

ぜひ、みなさんと心をつなぎ合って、腕を組んで闘っていきたいということを最後に申し上げて私の話を終わらせていただきます。
ご静聴ありがとうございました。

(了)

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