交通事故時の補償解決実績、および著書、講演実績多数 交通事故の弁護士と言えば高山法律事務所

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「改憲阻止と反戦に立ち上がるとき」

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【集団的自衛権】改憲阻止と反戦に立ち上がるとき

2015.1. 週刊法律新聞投稿

 戦争が一気に近づいた。ニュースキャスターは「中国が尖閣諸島を取りに来たら日本はどうすべきか、あなたはどうするか」というような話題をふつうに持ち出す。リベラルと思われてきた評論家でも「その時は立ち上がりますよ」などとこれもふつうに応える。
安倍首相は、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」があれば、現行憲法を改正しなくても武力行使つまり戦争はできると説明した。油価が暴騰し経済的なパニックが起こる危険性がある時には、ペルシャ湾ホルムズ海峡での自衛隊の機雷除去も考え得るとも言った。

この国の国民は、すでに「油価の暴騰」や「経済的なパニック」を十分経験させられている。圧倒的多数の国民は安倍政権の経済政策で幸せな生活が脅かされ、「経済的なパニック」に陥っている。その状況で武力行使が俎上に上ってくるのなら、この国の政府は戦争に突入できる条件をいつでも手近に持っていることになる。
安倍経済政策は安倍戦争政策である。そのうち我が家の経済も良くなるだろうと夢想させ、やせ細った99%のポケットに残る乏しい金を抜き取り、ぱんぱんに太った1%の懐に突っ込んでやる。それでも這い上がってくる僅かな者には「幸運と努力」は褒めてやり、苦しむ国民からは「戦争によって生命や自由や幸福追求を実現したい」という願望を生みだそうとする。「厭離穢土と欣求浄土の想念の世界に国民をたたき込む」と言ったら敬虔な仏教徒から叱られようか。

我々の眼前の風景は、大陸侵略に踏み出した当時のこの国の状況に驚くほど重なる。『ガダルカナル戦詩集』で知られる詩人吉田嘉七の短い詩「ぼくら子供は」を紹介する。

「銀行が倒産し/市電はストでよく止まった/工場地帯では赤旗が立っていた/ルンペンが塵芥箱を漁り/公園のベンチで1日寝ている人もふえた/月給が下がったと言う/物が売れないのだと言う/農村は冷害で作物がとれないのだと言う/弁当を持って来られない友達もいた/大人達の暗い表情が暗い街に溢れた
満州で戦争がはじまったのは/ぼくが中学一年の時だ/物がぼつぼつ上り出し/景気が良くなって来たらしい/「戦争が始って良かったね」/大人達のつぶやきは/子供のぼくらの耳にも入った
やがて戦争で殺されるぼくらの-」(『日本好戦詩集』古山高麗男著・新潮社刊所収)
「満州で始まった戦争」は、関東軍参謀の満鉄線路爆破に始まる1931年の「満州事変」。この年吉田少年は13歳(詩作は14年後の1945年)。

中曽根政権以来、新自由主義政策の狙いは闘う労働運動を根絶やしにして改憲を実現することだった。それは政治や経済の根幹が維持できないところに追い込まれた末の国策である。闘う労働運動は大きく後退して翼賛労働運動が幅をきかせるようになり、工場地帯にも赤旗がほとんど立たなくなった。
再び戦争のときが来る。いや、今や「戦争が廊下の奥に立ってゐた」(渡辺白泉)の世界に我々はいる。注意を要するのは、戦争をしかけるものは決して自身の行動を「侵略」と言わず、「不当な攻撃に抗する自衛の行動」と説明するということだ。

「中国が戦争をしかけてくる」と言われた時には、直ちにその論の立て方を問題にしなければならない。百歩千歩譲っても、しかけてくるのは中国の「政府」であり、待ってましたとばかりに飛び出そうとするのは日本の「政府」なのだ。戦争は日中両国の国民の間にはない。そして、「政府」の戦争策動を許さず立ち上がるのは、日中両国の国民である。ともに「自国の政府」が戦争をしかけることを許さず反戦に決起し、反戦が日中両国民の共通の目標になる。

『西部戦線異状なし』(レマルク)から兵士たちの会話を引く。「そもそも戦争ってものはどういうわけで起こるんだ」と彼は問う。「1つの国がよその国をうんと侮辱した場合だ」という友の説明が返ってくる。「ドイツの山がフランスの山を侮辱することなんかできねぇ」と彼は反論する。「俺たちはみんな貧乏人だ。フランス人だってたいがい労働者や職人だ。みんな政府のやることだ。要するに無我夢中で戦争に引っ張り出されたのよ」(新潮文庫288頁~秦豊吉訳)。戦争をもくろむのは常に「政府」であり、民衆はそれに利用される存在である。「国」や「国益」を単位にして戦争を考えてはならない。

しかし、民衆の側に立つはずの勢力の中に、「海外で戦争する国づくりを許さない」などと言う人々がいる。「海外も国内もなくすべての戦争を許さない」と言わないのは、ここには「不当な攻撃に抗する自衛の行動」なら許されるという理屈が潜んでいるからだ。
近代におけるすべての戦争は自衛の名の下に行われてきた。戦争犯罪人たちも東京裁判の法廷で、日本の大陸侵略を自存自衛の戦争と強弁した。自衛なら別論だなどという人々は、自衛の名の下に戦端が開かれた瞬間から、この国の勝利のためにしばらく反戦の旗を降ろそうと言い出す。「海外の戦争は許さない」論は、排外と侵略の扉を開く危険な水先案内の役割を果たす。
私たちは「政府の行為によって戦争の惨禍が起こされた」ことをあらためて確認し、今度こそこの国の「政府」に戦争をさせないために立ち上がらなければならない。

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