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「現場から発信された刑事司法告発の書」

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【裁判員制度】現場から発信された刑事司法告発の書

事件像をχ軸、裁判員制度・死刑制度・メディア問題をy軸、現状の細密描写から対策検討への発展をZ軸にして、国際関係論専攻の研究者がこの国の刑事司法と四つ相撲を組んだ。門外漢の評論と思われたら大間違い、驚くほど緻密かつ実証的な論を展開している。俎上に載せた事件は、松本サリン事件(94年)、志布志事件(03年)、鹿児島高齢者夫婦殺害事件(09年)。

長野県松本市で多くの死傷者を出した松本サリン事件では、警察は第1通報者河野義行氏を犯人と事実上断定、翌年3月地下鉄サリン事件が発生して一連の事件がオウム真理教関係者の犯行と解明されてもしばらくその立場をとり続けた警察大失態事件である。

鹿児島県議選の選挙違反事件有権者に200万円近いカネを配ったとして13人が公選法違反で逮捕・起訴された志布志事件では、捜査段階で容疑を認め(させられ)た被告人たちが公判で一転して自白強要を訴えた。結局検察は買収会合の存在を立証できず、07年に鹿児島地裁は全員に無罪を言い渡し判決は確定。これは警察・検察の大失態事件。結論は無罪だったが、逮捕・勾留・接見禁止・保釈却下を連発した裁判所の責任も重大この上ないものだった。

老夫婦が殺された鹿児島高齢者夫婦殺害事件は被告人も高齢であった。完全無罪主張事件で9割超の裁判員候補者が選任を辞退した極めつきの嫌われ裁判。極少の物証について被告側はねつ造を主張し、裁判員裁判5件目の死刑求刑。だが、判決は無罪(10年12月)。検察は控訴し現在福岡高裁で審理中の事件である。

筆者は、わが国の刑事裁判の反人権性に厳しい批判の目を向け、裁判員制度がその打開のきっかけになるかというテーマに挑み、その結論を否とした。理由の第1は、この国の司法が抱える深刻な病(被疑者を長期間官権の手許に拘束する手法、自白を証拠の王と考える思想、事実上の有罪推定、裁判所と検察の異様な融和と超高有罪率)を少しも是正せず、むしろ冤罪や誤判を増やす恐れが強いこと。理由の第2は、国の処罰作用に国民を強制動員し、治安維持を国民自らに担わせ、「統治主体意識」(=裁判員制度の採用を政府に答申した司法制度改革審議会の意見書が使った言葉)の醸成を目標にしていること。

筆者は、また、ひたすら裁判員裁判を推進する立場に立つメディアに向けてもするどい批判を展開する。

実務法曹の1人であり、裁判員制度の廃止を求めている私から見て、氏の言はまさに正鵠を射ているものである。裁判員制度は、公判前整理手続きの実施により弁護活動に根底的な制約を課して刑事裁判を変容させ、被害者参加により判断軸を大きく加害者糾弾に傾斜させた。事件の真相を究明し検察主張の正しさを検証する作業は、薄皮を剥ぐように慎重に丁寧に時間をかけて行われるべきものだ。3~5日の審理(評議の実時間はたいてい数時間程度)でいったい何がわかるか。

著者は、腐敗したこの国の司法当局が率先して推進する裁判員制度には正義が見出せないという立場から、現状の描写と分析に筆をとどめず、刑事捜査や裁判員制度や死刑制度についてさまざまな提言を試みている。その子細を紹介する紙幅はないが、裁判員制度の凍結・廃止の主張はその重要な柱である。応急措置として裁判員裁判の死刑判決は全員一致制にせよというものもある。裁判員制度の存在を前提とする提案であり、全員一致なら死刑もよいのかという反論にさらされても、論争承知の大胆な提案は、いかにも気鋭の政治学者らしい。ともに考えるきっかけを読者に提供する大胆な仕掛けであろう。

私の希望をつけ加えさせていただく。核の平和利用論を媒介に原爆から原発推進に一転ばく進した国策と、国の秩序を維持する人間を造るという国策に通底するものは何か。氏の専攻分野の見識をこの分野にもぜひ反映させてほしいと望む。改憲の時代に際会した専門家の責任と可能性の問題への期待である。本書はその意味でも大きなステップになるのではないか。

「裁判員制度はいらない! 大運動」呼びかけ人 高山俊吉(弁護士)

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